歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



『一谷嫩軍記 熊谷陣屋』熊谷次郎直実
撮影:松竹株式会社

受け継ぐ伝統〜政岡とは異なる、浅岡の“我が子への愛”の表現

 5月の演目は、4月の「歌舞伎座さよなら公演」といくつか重なっています。歌舞伎界の大幹部俳優の方々が演じられた演目を今度は若手俳優が演じるという企画が楽しみです。

 『熊谷陣屋』は高麗屋として大変大切なお役です。お祖父様の松本白鸚(はくおう)さん、お父様の松本幸四郎さんも長く演じてこられました。染五郎さんに、役に取り組む心構えを伺いました。

 「これができないと、高麗屋である意味も染五郎を名乗る意味もないというほどの重いお役と捉えています。また父の母方の祖父、私の曽祖父である初代中村吉右衛門、叔父(二代目吉右衛門)も大事に演じられているお役です。高麗屋、播磨屋両方の伝統を僕が受け継いでいくことを目標に掲げ精進しています。これまで父や叔父の座組に入れていただくことが多かったので、そこで学んできたことを生かしたいですね。全編すべてがしどころばかりという芝居なので、まず教わったことをきっちりやることが目標です」

 熊谷直実は主君義経の命を受けて、帝の血を引く平敦盛の身代わりに自分の子の首を打ちます。なぜそこまで、と現代人は思ってしまうかもしれません。

 「この物語は、現代には置き換えがたい設定だと思います。でもその中に流れているのは普遍的な人間の心理。親子や夫婦の情、そして忠義心。熊谷の立場としては、ほかに代えることができない絶対的なものが義経との主従関係であり、しかも戦の最中。その中でやむにやまれずわが子を殺さなくてはならない。このような“枷(カセ)”があるからドラマが成立するものですし、現代でも“枷”は形を変えて残っています。だからお客様も共感して下さるのでしょうし、共感して下さるように演じなければなりません」

 直実は結局出家してしまいます。

 「本来なら自分の子を殺すなんて、あり得ないことです。でも、戦の中ではそれが忠義となりよいことと褒められてしまう。人間としてしてはいけないことをせざるを得ない戦争への疑問、批判精神などが深い形で込められているのが『熊谷陣屋』です。また、日本の文化に流れている無常観も強く感じさせます。かっちりしたお芝居ですので、まずそれをこなすのが大変ですが、父に教わってしっかりと勤めさせていただきます」

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