歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



『熊谷陣屋』熊谷次郎直実(平成15年2月 新橋演舞場) 撮影:2点とも松竹株式会社
八月花形歌舞伎
公演詳細
演目と配役
みどころ
 

芝翫型の熊谷直実を先人から引き継ぐ

 「十月大歌舞伎 大阪平成中村座」ではご自身4度目となる『熊谷陣屋』の熊谷次郎直実を演じられます。立役として大変重いお役ですが、「平成中村座」で演じられるのはまた違うお気持ちでしょうね。

 熊谷次郎直実をやらせていただくということは、役者にとっても大変な重みがあります。僕は20代に初めて平知盛をやらせていただいたとき、二代目尾上松緑のおじさんに教えていただきました。その時おじさんから「幸二(橋之助丈の本名)、次は熊谷を教えてやるからな」と言われ、ずっと憧れていたお役だったんです。でも、すぐにやらせていただけるようなものではありませんし、ずっとお願いはしていたけれど、なかなか機会は訪れませんでした。

 あるとき、よく秘境を旅していらした俳優の緒形拳さんから、「ハシなあ、秘境ってものは行きたい行きたいと思っていたって、おいそれとは行けないけれど、突然ぱっと相思相愛になるものなんだよ。そのときになってから行けば、秘境の地も心を開いて見せてくれる。芝居もそうなんだよ」と言われたこともあります。まさに熊谷がそれ。「新橋演舞場でやりませんか」とおっしゃっていただき、「エッ」と言っている間もなくすんなりできることになったのです。それからとんとんと南座、博多座でもやらせていただきました。

 ずっとお家の型である芝翫型で演じられています。

 『熊谷陣屋』 はほとんど團十郎型での上演でしたから、芝翫型は昭和39年に松緑のおじさんが演じられて以来途絶えていました。だからおじさんも、知盛を教えて下さりながら「そのうち熊谷を教えるから」とおっしゃったのだと思います。残念ながら僕に機会が巡ってきたとき、もうおじさんは亡くなっていらっしゃいました。実に48年ぶりの芝翫型での上演だったのですが…。

 そこで僕は、おじさんの「書き抜き」(演じる役のせりふだけを書き抜いた台本)をお借りしてきました。それを拝見すると、裏には「昭和何年」とあって、ちょうど辰之助のおにいさん(三代目尾上松緑)が生まれたばかりのころからおやりになっていたことがわかりました。たくさんの書き込みがありまして、ペンで書いてあるのは團十郎型、鉛筆で書いてあるのが芝翫型、というふうに、実に事細かなものでした。

 初役のときは吉右衛門のおにいさんにご指導をお願いしたところ、快く引き受けて下さいました。ご自宅にお邪魔し、二人で松緑のおじさんの台本を開いて、「このときはこんな格好? それともこっちの格好?」などと言いながら作り上げていったんですよ。

 それなら思い入れも深いですね。芝翫型は衣裳なども團十郎型と違っていて、見慣れたはずの熊谷がとても新鮮です。古風で豪快。大阪のお客様にも楽しんでいただけそうですね。

 衣裳は黒ビロードの着付け赤地錦の裃ですし、顔は芝翫隈を取っています。見せ場としては、一の谷の合戦で平敦盛を討った様子を語る「物語」で、扇を使って立体的に戦の場面を再現しながら、最後は三段に右足を落とし、右手の軍扇を高く掲げて大見得をします。「首実験」での制札の見得は、團十郎型の見せ場でもありますが、芝翫型は制札をまともに肩に担ぐところが特徴です。ぜひ、楽しんでいただきたいですね。

MADE IN NIPPON!

バックナンバー