歌舞伎いろは

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『摂州合邦辻』玉手御前
(平成22年5月 大阪松竹座) 撮影:松竹株式会社
関西・歌舞伎を愛する会 結成三十周年記念 七月大歌舞伎
公演詳細
演目と配役
みどころ
 

祖父・父から受け継ぐ玉手御前

 5月、大阪松竹座で、初めて演じられた「合邦庵室」の玉手御前はとても素敵でした。同じ年に通し狂言として東京で再演されることになったのですが、今回はどのように演じていこうとお考えですか?

 これほど早く、しかも通し狂言という形で再演できるのは、幸せなことです。通し狂言の台本を読むと、ミドリ(※)のかたちで「合邦庵室」の玉手御前を演じたときとは、また違った解釈が生まれてきます。5月の松竹座では、祖父(七代目梅幸)や父が解釈してきたように、玉手は俊徳丸に恋していた、真実の恋なのだと思い、演じさせていただきました。ただ、真実の恋として演じたのでは、家のために自分の身を犠牲にしたと述懐する幕切れのモドリ(※)が、実感としてつながりません。真実の恋なのか、家のための計略なのか、どちらか決めるようなことではないのでしょう。人間は矛盾に満ちています。すべての行動が、こうだと一貫しているわけではありません。玉手御前を合理的に解釈するのではなく、多面的に見えれば、魅力的な女性に見えるのではないか。そんなことを考えています。

 玉手御前は菊五郎家にとって大切な演目で、当たり役とされていますね。

 たしか7歳のとき、国立劇場で祖父梅幸が玉手御前を演じた折に、母に手を引かれ客席で観た記憶があります。子供には難しい話ですけれども、おそらく祖父の演じる姿を観ておくように、という意味があったのでしょう。父が玉手御前を勤めた舞台では、浅香姫で出させていただきました。今回も祖父や父の型を受け継いでいくのは、もちろんです。玉三郎のお兄さん(坂東玉三郎さん)に、松竹座のときにご指導いただいたのは、本当にありがたいことです。
 舞台での動きは映像を見て、勉強すれば、ある程度わかるのですけれど、それをなぞるだけでは演じることはできません。演技の手順をまず学ばなければいけませんが、それ以上に「役の性根をつかむ」ことが大切だと、ようやくおぼろげながらわかってきたような気がします。
 例えば「庵室」の冒頭、玉手御前は夜の闇のなか、花道を出てくる場面がありますね。揚幕を出たときに、それまで起きたさまざまな事件をかかえこんだ玉手御前の心持ちをお客さまに一瞬のうちに伝えなければと思います。そのあとに「母様(かかさん)」と呼びかけながら、実家の戸を叩く場面も、本当に叩くわけではないけれど、役の性根ができていれば、嫁いだ家を出て、俊徳丸を追ってさまよっている玉手御前の孤独が見えてくる。大きな役をやればやるほど「型を学んで、性根をつかむ」ことの大切さを思うようになりました。

 花道の「出」は、衣裳の色や切った片袖の使い方、緋色の襦袢の鮮やかさなどに工夫がされていて、観ている私たちにも鮮烈な印象を与える場面です。

 玉手御前が切り取った茄子紺の着物の片袖で顔を隠していますが、これには先人たちの工夫こめられています。片袖がとれて襦袢の柄が見えているために、色気がありますね。衣裳が役柄を語ってくれる。これも歌舞伎らしい表現の一つだと思います。


※ミドリ:見取り狂言のこと。複数の作品から人気の場や幕のみを拾って上演すること。
※モドリ:悪人であった者が実は善人であったと判明すること。歌舞伎、人形浄瑠璃の演出・演技用語。

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