歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



 
『壺坂霊験記』 片岡我當さんの沢市と片岡秀太郎さんのお里(平成15年7月 大阪松竹座) 撮影:松竹株式会社

「日本の心」が感じられる歌舞伎が大好き

 愛之助さんは一般のご家庭で育ち、松竹芸能に入って歌舞伎の子役を勤めていらっしゃいました。  

 そうです。でも子役を勤めているうちに学校に行けないことが増えて、だんだん勉強がわからなくなってきたので、「そろそろやめようか」と実家の両親と相談していたのです。そうしたらその月に、現在の父の秀太郎から「うちに入らないか」とお話があったのですから、まったくの偶然ですね。父(秀太郎)とは特に共演が多かったわけではなく、僕自身歌舞伎俳優になろうとも思っていませんでした。でもそれがきっかけとなり、歌舞伎の世界に入ることになりました。父(秀太郎)は「この世界で生きていくなら、お父ちゃんの部屋子(十三世仁左衛門の内弟子)になったほうがいい」とおっしゃってくださり、京都の嵯峨にあるお宅まで挨拶に伺いました。すると、僕のことなどほとんどご存じなかったはずなのに快く会ってくださって、「わかった」と部屋子にしてくださったのです。それからずっと、朝から晩までおそばにいてお世話をさせていただきながら、たくさんのことを教えていただくようになりました。

 十三代目は上方の歌舞伎も江戸の歌舞伎も実によくご存じで、しかも長く舞台に立たれた名優です。芸談を本にまとめられるほど博識の方でしたね。

 朝はお迎えに行き、楽屋でお世話をし、帰る時もご自宅やホテルまで車でお送りする。お風呂で背中を流し、着替えもお手伝いし、ご飯を食べてお休みになるまでずっと一緒。そういう生活が続きましたが、十三代目の近くにいることができて本当に幸せでした。十三代目は僕などにも「今度、こんなふうにやってみたんやけど、どうやった?」とお訊きになるんですよ。もちろん僕に何か言えることなどなかったのですが、大変な情熱をお持ちの方でした。
 でも本当に残念なことに、当時の僕はまだ大きなお役をいただくこともなく、十三代目に質問しようにもどうしてよいかわからなかったんです。『壺坂霊験記』や『近頃河原の達引』なんて、お元気だったらどれほど訊きたいことがあるか。お墓参りしたら教えていただけるといいのですけれど・・・・。

 上方の香りが漂う品のある俳優さんでした。上方の香りという点ではお父様もたっぷりお持ちです。

 そうですね。『封印切』の井筒屋おえんや、『仮名手本忠臣蔵』の一文字屋お才など最高です。僕は自宅が大阪にあるのですが、1年のうちいられるのは2カ月ぐらい。でも上方の役者としてやっていきたいですし、一生関西に住む覚悟です。
 偶然が積み重なって片岡家に入れていただき、歌舞伎俳優となった僕ですが、今では本当に歌舞伎が好き。ほかのお芝居や映画に出ているとき、それも素晴らしい体験なのですが、「ああ、歌舞伎がやりたいなあ」と思うんですよ。それだけ歌舞伎は奥が深い芸能なんでしょうね。

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