ファッションに彩られたラブストーリー

『鳥辺山心中』祇園花菱の場 お染衣裳
鶸と緋片身替り花の丸中形着付(ひわとひかたみがわりはなのまるちゅうがたきつけ)

同、お花衣裳
白羽二重竹と笹模様着付(しろはぶたえとささもようきつけ)

同、半九郎衣裳
納戸色塩瀬木の葉小紋半着付(なんどいろしおぜこのはこもんはんぎつけ)、勝色地縞更紗

 明治から昭和初期にかけて活躍した劇作家で、随筆家でもあった岡本綺堂(おかもときどう)。生涯で二百本近くの戯曲を著しましたが、『修禅寺物語(しゅぜんじものがたり)』『番町皿屋敷(ばんちょうさらやしき)』など、多くの作品が新歌舞伎として上演され、今も愛されています。

 その中のひとつに、大正4年(1915年)、本郷座で初演された『鳥辺山心中(とりべやましんじゅう)』があります。
 寛永3年(1626年)、三代将軍徳川家光の上洛に随行して、江戸から京へやってきた若い旗本菊地半九郎(きくちはんくろう)は、祇園の廓で店に出たばかりのお染(そめ)という少女を気の毒に思い、他の客の相手をしないですむように連日自分の座敷へ呼んでやります。お染も半九郎のやさしさに引かれ、揃いであつらえた正月の晴れ着を着るのを楽しみにしています。しかし、将軍の帰還が急に決まり、半九郎も数日のうちに江戸へ出立しなくてはならなくなります。半九郎は家重代の名刀を売ってでも金を工面し、お染を自由の身にして親元へ帰してやりたいと思うのですが、そのあまりにも純粋な心は遊び慣れた同輩の坂田市之助(さかたいちのすけ)には理解されません。やがて半九郎は、ささいな行き違いから、市之助の弟源三郎(げんざぶろう)と四條河原で決闘する羽目になり、源三郎を死なせてしまいます。こうなってはとても生きてはいられぬと思い定める半九郎に、お染もともに寄り添い、死に場所を求めて鳥辺山へむかうのです。

 岡本綺堂は、後に流行する心中の“はしり”とも言われる、実際に寛永年間に起こった公金横領事件の果ての“相対死(あいたいじに)”の事件を、一本気な若侍と可憐な少女の純愛ロマンに仕立てあげました。「濁りに沈んで濁りに染まぬ、清き乙女と恋をして…」という台詞は有名で、大正期のロマンチックな気風にあふれた作品となっています。そしてもうひとつ、この演目の魅力は江戸時代初期の風俗を映した衣裳の数々です。

 お染の着る桃山時代頃から能装束にもよく使われた片身替りの小袖や、朋輩の遊女お花の着る大柄な小袖、男物ながら華やかな半九郎や市之助の縞織物の袴など、古風な趣を残す衣裳はかえってモダンで新鮮に映ります。

こころを映す、歌舞伎の舞台

バックナンバー