歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



       
め組のけんか
「め組のけんか」
怪力で動きのにぶい相撲取りと身軽な鳶との対比が面白い乱闘シーン。
 

ホントにあった「め組の喧嘩」

 大詰で、粋でいなせな火事場装束に身を包んだ町火消しと力士が勢ぞろいして大立ち廻りを見せたり、身の軽い鳶の面々が屋根に跳び上ったり、トンボをきったりと、派手な立ち廻りが楽しめる「め組の喧嘩」(本名題「神明恵和合取組」)は現在でも人気の演目と言えるでしょう。初演は1890年(明治23年)と新しいものですが、1805年(文化2年)に本当にあった事件が基になっています。その事件とは、芝神明の境内で四ツ車大八(よつぐるまだいはち)と九竜山浪右衛門(くりゅうざんなみえもん)の花角力(はなずもう)が開かれた時のわずかないさかいが発端で、め組の鳶の者と力士が大喧嘩になった事件です。

 当時は事件後すぐに講釈で語られ、「御贔屓曽我閏正月(ごひいきそがうるうしょうがつ)」という外題の歌舞伎にもなりました。それらは「め組の喧嘩」の下敷きになっています。「め組の喧嘩」の主人公の火消しの辰五郎は実名で、実際に江戸追放という厳しいお咎めを受けました。

 江戸の町を火事から護るはずの火消しが喧嘩への招集をかけるために火の見櫓の半鐘(はんしょう)を打ち鳴らしたことの責任が重く見られ、裁きは全体的に力士側に甘く、火消し側に厳しいものだったようです。いくら喧嘩両成敗といっても、火消し達に厳しかったのは当然のことかもしれません。