歌舞伎いろは

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今も残る「まよひ子のしるべ」

迷い子を探す団扇太鼓の響きが、宵闇へと吸いこまれていくようです。
 江戸時代にはよく子供が行方不明になりました。迷子や事故にあった子供もいたと思われますが、人買いが連れ去って他国に売り飛ばした、天狗がさらっていった、神隠しにあったなどとも言われました。夕刻になっても帰らない子供がいると、隣近所の人たちが総出で団扇太鼓をたたいて「迷子の迷子の○○やーい」と叫んで捜しました。幼児には、住所、名、年齢を書いた木の札を巾着に入れて腰につけたりもしたそうです。

 また、当時の人たちは「掲示板」のような「まよひ子のしるべ」を人の集まる賑わったところや神社などに建てて、迷子探しの手助けにしていました。八重洲1丁目にある、1857年(安政4年)に建てられた「一石(いちこく)橋迷子しらせ石標」は東京都の指定文化財になっています。迷子を町内の人々が一緒になって捜すのと同じように、迷子を見つけた時は町内で責任を持って保護することになっていたので、日本橋西河岸町の町人達が資金を出し合って石標を建立したのでしょう。この石標の正面には「満よひ子の志るべ」、左側には「たづぬる方」、右側には「志らする方」と彫ってあります。その上部は窪みになっていて、迷子になった子の名前、生年月日、特徴、連絡先などを書いた紙を張るようになっています。文京区の湯島天神や浅草寺(こちらは昭和32年に復元したもの)の境内でも、同様の「告知板」のような石碑や石標を見ることができます。