歌舞伎いろは

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「梅若伝説」と「隅田川物」

シンプルな舞台の隅田川
シンプルな舞台の「隅田川」。踊りで川の光景が見えるかのような母親と船頭とのやりとり
 よく子供が行方不明になる時代だったとはいえ、子供が突然いなくなった時の親の嘆き、悲しみは今も昔も変わらないはずです。それは時代だけではなく、洋の東西を問わず普遍的なもの。だからこそ、六世中村歌右衛門の舞踊『隅田川』は海外で何度も上演され、外国人の観客を魅了し、絶賛されたのでしょう。

 舞踊『隅田川』は、「梅若伝説」を元にした能の『隅田川』を題材に創られました。「梅若伝説」とは、子どもを捜し求めて京から東へ下って行った憐れな母の姿を描いたもので、「平安時代中期、京都北白川吉田少将惟房卿の妻花御前は人買いにさらわれたわが子、梅若を訪ねて、取り憑かれたように旅を続け、隅田川のほとりでわが子の死を知らされる。母は髪をおろし、妙亀尼となり、庵を結んでわが子の成仏を願い墓の傍に暮らした」という話です。台東区総泉寺には妙亀尼の墓とされる「妙亀塚」が、墨田区木母寺には「梅若塚」があり、木母寺では毎年4月15日「梅若忌」が行われています。

 多くの歌舞伎作品が能の『隅田川』を題材にして生まれ、「隅田川物」というジャンルを形成するほどになっています。ただ、歌舞伎の「隅田川物」は「子供と生き別れになった母の悲しみ」という「梅若伝説」のストーリーとはかなり趣が異なっています。2005年(平成17年)8月に歌舞伎座で上演された『法界坊』(本名題『隅田川続梯(すみだがわごにちのおもかげ)』)は、大詰こそ怨念の世界を描いていますが、それまでは喜劇仕立て。中村勘三郎(法界坊)・串田和美(演出)コンビで客席を大いに沸かせました。

 他にも大南北(四世鶴屋南北)作『女清玄(おんなせいげん)』(本名題『隅田川花御所染(すみだがわはなのごしょぞめ)』)が「隅田川物」として現在でもお馴染みですが、能や舞踊の『隅田川』と設定に共通の部分はあるものの違うストーリーになっています。