歌舞伎いろは

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安寿は汐くみ、厨子王は芝刈りの重労働を強いられました。
 

歌舞伎の中の安寿と厨子王

 「人さらい」「人買い」が登場する話としてよく知られているのは「安寿と厨子王」の物語でしょう。もともとは中世に起こった「語りもの」である説経(節)の『さんせう太夫』が元になっています。『さんせう太夫』は五大説経のひとつと言われる有名な説経で、これを元に森鷗外が1915年(大正4年)に『山椒大夫』という小説に著しました。

 鷗外の『山椒大夫』のあらすじは「陰謀によって陸奥から筑紫へ左遷された父親を追って、安寿と厨子王、母、乳母の4人は、京へ旅立つ。越後の直江津にたどり着いた一行は、人買いにだまされ、安寿と厨子王が丹後に、母、乳母は佐渡に売られてしまう。丹後の由良で山椒大夫に買い取られた姉弟はつらい労働を強いられる。安寿と厨子王は泣き合う日々を送ったが、安寿は厨子王を逃がして自身は入水する。うまく逃げた厨子王は、姉から渡された守り本尊の導きにより、自分が筑紫へ左遷させられた平正氏の嫡子だということを知る。正氏はすでに死んでおり、嘆き悲しんだ厨子王だが、やがて丹後の国守となり、丹後での人の売り買いを禁止し、母を捜す。そしてとうとうある日、厨子王は母との再会を果たし、涙を流しながら抱き合った」というものです。元の説経では「安寿が拷問で死ぬ」場面が、鷗外『山椒大夫』では沼に身を沈める入水として書かれています。

 江戸時代、『さんせう太夫』は人形浄瑠璃に取り入れられて、近松半二作『由良湊千軒長者(ゆらのみなとせんげんちょうじゃ)』という外題で上演され、それが歌舞伎でも上演されるようになりました。現代では文楽や地芝居では上演されていますが、新宿第一劇場で1959 年(昭和34年)に上演された後、歌舞伎座や国立劇場などでは上演されていません。『由良湊千軒長者』の“三荘太夫”の娘・おさんは、親の非道の因果で明け方になると鶏鳴きをする「鶏娘」として登場します。雪中に白鶏を追うおさんの姿は女形の見せ場と言われていました。

 なお、歌舞伎座では1979年(昭和54年)10月に森鷗外の原作を脚色した『山椒大夫』を上演しています。