十一世市川團十郎ゆかりの『若き日の信長』とは

 11月25日(水)まで歌舞伎座「吉例顔見世大歌舞伎」昼の部で上演中の『若き日の信長』は、「十一世市川團十郎五十年祭」にちなんだ上演演目です。

 十一世の團十郎襲名後初めての上演にあたり(昭和37年11月歌舞伎座)、作者の大佛次郎は、「『若き日の信長』は、“若き日の團十郎”に私が初めて書いた脚本である」と書いています。『源氏物語』の光君で人気絶頂となっていた十一世團十郎(当時 海老蔵)が挑んだこの新作は、昭和27(1952)年10月歌舞伎座で初演以来、10年のうちに5度も十一世によって再演されたのち、十二世團十郎、そして海老蔵へと受継がれました。

十一世に当てはめて書かれた新作
 襲名後、十一世團十郎としては最初で最後の信長となった昭和37年の舞台で、中務の三男、甚左衛門を演じたのが十二世團十郎。海老蔵の前回上演時(平成23年9月の大阪松竹座)、指導するにあたって、「大佛次郎先生が、父をはじめ菊五郎劇団に書き下ろしたものです。大佛先生には大変お世話になっていて、上演のたびに必ず、鎌倉の雪ノ下のお宅にうかがいました。父(十一世團十郎)に連れられて小学生の頃に行ったときと変わりない茶房が残っています」と、懐かしんでいました。

 また、大佛次郎の戯曲について、「俳優の人となりをベースに書かれており、この作品は、十一代目の癇性なところを写しとり、合致させています」とも語っていた十二世團十郎。しかしながら、癇性なだけではなく、弥生との接し方や自分を諌めるために中務が腹を切った後の独白などに、「裏側にある種の優しさもかいま見せながら、癇性でカーッとなってスーッと引く、そういうタイプの人間像だと思います」と信長像を分析しました。

新しいジャンルの作品として
 初演時、『若き日の信長』のもう一つの特徴は、前田青邨の美術にあったともいわれています。十二世團十郎は、「秋の夕景の柿がたわわに実っている幕開き。これがきれいでお客様がわっとなります。青邨の絵を土台として十一代目の手がけた作品は、それまでのものとまったく違います。溜込(たらしこみ)という絵の技法を歌舞伎の舞台に持ち込み、新しい歌舞伎の雰囲気をつくっていました。そこを明確にすべきだと思います」と語っていました。

 序幕の秋の夕景から、二幕目の冬の冷たい朝、三幕目の清州城の堀外、堀内の書院に轟く雷鳴まで、場面ごとに雰囲気をがらりと変え、自由奔放なふるまいの中に孤独を抱え、悲しみの慟哭から立ち上がる信長の心情の変化を表す…。「戦後歌舞伎の新しいジャンルにできれば」との十二世團十郎の言葉には、並々ならぬ本作への思い入れが感じられます。

 海老蔵は16年前に名古屋で初演してから3度目の信長役ですが、年齢を重ねたからこその信長をつくり上げ、癇性の裏に潜むさまざまな感情をせりふや演技に表出させます。中務の死を前に、怒り、悲しみ、諦め、絶望、孤独といった複雑な心を抱える信長が感情を吐露する場面でも、直前の弥生との他愛のない会話が生きていっそう激情が際立ち、ドラマが大きく盛り上がります。

 十一世の十五年祭(昭和55年5月)、三十年祭(平成7年9月いずれも歌舞伎座)、さらには十二代目團十郎の襲名披露狂言としても上演された『若き日の信長』。十一世、十二世團十郎が大切にしてきたこの作品は、この五十年祭にふさわしい、欠くことのできない作品といえます。
※十二世團十郎のコメントは平成23年時の取材より

  歌舞伎座「吉例顔見世大歌舞伎」は、25日(水)までの公演。チケットは、チケットWeb松竹、 チケットWeb松竹スマートフォンサイトチケットホン松竹にて販売中です。

2015/11/09