太陽を身にまとう

『新薄雪物語』<幸崎邸詮議の場>の道具帳

『籠釣瓶花街酔醒』<兵庫屋縁切りの場>
紫繻子開き衿白幔幕火焔太鼓裲襠(むらさきしゅすひらきえりしろまんまくかえんたいこうちかけ)

 歌舞伎では、衣裳のほかにも火焔太鼓のモチーフを見ることができます。
 『加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)』の<草履打の場(ぞうりうちのば)>、大姫の御前で老女岩藤(いわふじ)が中老尾上(おのえ)に宝物の「蘭奢待(らんじゃたい)」紛失の罪をきせ、草履で打ち据える場面。また『新薄雪物語』の<幸崎邸詮議の場(さいさきていせんぎのば)>、幸崎伊賀守(さいさきいがのかみ)娘薄雪姫(うすゆきひめ)に横恋慕する秋月大膳(あきづきだいぜん)が、奸計(かんけい)をもって相思相愛の園部左衛門(そのべさえもん)と薄雪姫を罪に落とそうとするのを、詮議役に派遣された葛城民部(かつらぎみんぶ)が粋な計らいでその場をおさめる場面。この二つの場面の舞台はいずれも、重要人物が顔を揃え、上使を迎えるという立派な広間ですが、 桜花が満開の銀の襖には、張り巡らせた幔幕と火焔太鼓が描かれています。

 しかし、ここで気がつくのは、歌舞伎では衣裳にしろ大道具にしろ描かれる火焔太鼓はひとつだけ、ということです。本来なら対であるべき火焔太鼓ですが、左方の“陽”を表す太鼓だけが描かれています。

 中国では“対になるもの”すなわち偶数を尊びます。いっぽう日本は奇数をめでたい数としています。江戸時代の人々は、陰陽合わせて深遠な世界観を表す…というよりも、みやびな火焔太鼓の陽を表すデザインを借りて太陽の持つ生命力やエネルギーを表現したのでしょう。

 火焔太鼓の柄の打掛はまさに廓の太陽、「わしが身に触ると、五丁町は暗闇じゃぞ(私の身になにかあったら、吉原は闇のようになるわよ!)」とまで言い切る揚巻、全盛の花魁が着るにふさわしいものなのかもしれません。

こころを映す、歌舞伎の舞台

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