歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



「平成の大修復」の時の調査で発見された「痕跡」により復原された「ブドウ棚」。
→②舞台真上の「ブドウ棚」。格子の間から「松羽目」が見える。

舞台下奈落の廻舞台の装置。直径7.3mの「盆」を人の手で廻すための「力棒」が4本ある。

歌舞伎ファンだからこそ見られない?舞台裏

写真中央の「斜交い」で補強した柱が支えているのが花道。その右が舞台から花道の鳥屋への通路となる。

舞台の「書割(かきわり」の裏は楽屋になっている。
→②廻舞台の円を描く隙間から奈落が見える。

舞台裏の楽屋。歌舞伎公演が行われていない時は、見学者のために案内札が立てられている。

左:舞台裏にある、奈落への入り口。
右:琴平町観光商工課の西岡敏さん。公演の時は梯子をとび職のように身軽にささっと上り、「ブドウ棚」から花吹雪や雪を降らせる。

花道上には「かけすじ」が設置されている。今年第二部『鯉つかみ』では、市川染五郎さんの工夫によって大活躍しそう。
クリックすると、「ブドウ棚」の上から見た「かけすじ」の装置が見られます。

この小屋が劇場として使われるのは1年のうちで4月の歌舞伎公演だけ。公演で使われていない時は一般に公開されているので(※1)、"現役"の劇場の舞台裏や奈落をゆっくり見学できるだけでなく、花道や舞台上に立つこともできます。逆に、歌舞伎ファンは芝居を観るためにいつも訪れるわけですから、「舞台裏や奈落などは見たことがない」という方がほとんどかもしれません。歌舞伎が発祥の廻り舞台、セリなども江戸時代の姿、仕掛けになっており、建築史上、演劇史上、大変貴重な建物となっています。

 奈落への入り口、階段は花道奥の鳥屋(とや)の横と舞台の下手にあります。舞台上のセリや花道のスッポン、そして前ページでご紹介した「空井戸」も奈落につながっています。ほの暗くひんやりとした奈落は、じめっと湿度が高い感じ…。取材したのは2月下旬にしては暖かな日でしたが、気温は10℃、湿度計は81%を示していました。
 直径4間(7.3m)の円形に切り抜かれた廻り舞台についている4本の「力棒」は、ちょうど人の肩や手に触れるところが、よく使い込まれているようでツルツルに光っていました。廻り舞台はこの力棒を持つ4人で廻しています。この廻り舞台を廻すのも、セリやスッポンで俳優さんを持ち上げたり下ろしたりするのも、芝居の演出の「暗転」のときに外光を遮断するために一斉に戸を閉めるのも、琴平町商工会青年部を中心とするボランティアのみなさん。多くの有志の方々の熱い想いが結集されて、一年に一度の大イベント「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が行われているのです。

 昭和51年(1976年)に復原された建物は、修理後30年経過の平成14年(2002年)12月、建物の健全性と耐震性能が調査されました。その調査過程で客席上方の大梁に「ブドウ棚(※2)」と「かけすじ(※3)」の痕跡を発見。平成15年の「平成の大改修」では、天井裏全面に鉄骨で構造補強を施し、あわせて平場及び向う桟敷天井部には「ブドウ棚」を復原し、花道上部には「かけすじ」を復元整備されました。

 紙吹雪、花吹雪を降らせる「ブドウ棚」、そして宙乗りを見せる「かけすじ」。どちらも観客を巻き込み、客席が高揚する芝居の仕掛けです。「四国こんぴら歌舞伎大芝居」の醍醐味はますます増し、この劇場ならではのワクワク感は特別なものになりました。今年4月も、この劇場が、この町が熱気に包まれることでしょう。

※1:公演ではありませんが、昨年公開された映画『最後の忠臣蔵』では、重要な役割を担う人形浄瑠璃『曽根崎心中』の場面がここで撮影されました。
一般公開されている時の「旧金毘羅大芝居(金丸座)」の入場料:大人500円、中・高校生300円、小人200円 (団体割引もあり)
※2:「ブドウ棚」とは、天井に竹を格子状に組み荒縄でしめたもの
※3:「かけすじ」とは、宙乗りの演出で使用される装置

平成 劇場獨案内

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