【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。
こころを映す 歌舞伎の舞台
この芝居小屋で興行が行われるのは一年に一度だけ。昨年4月の公演時の幟と積樽、ちょうちんはそのまま残されていた。が、昨年の絵看板ははずされ、まねき看板は、江戸時代の千両役者の名前が書かれたものに変わっていた。 |
昨年の公演初日の前日、お練が行われた時の写真。櫓には金丸座の座紋が染め抜かれた紫の幕が巻かれ、上演される芝居の絵看板、そして出演俳優の名前が書かれたまねきが挙げられている。(c)松竹株式会社 |
毎年4月を心待ち。1年に1回だけの公演
桃色の「ことひら温泉まつり」の幟がお出迎え。取材で訪れた2月下旬ごろのJR琴平駅前。旧金毘羅大芝居(金丸座)まで、ここから徒歩20分。 |
みやげ物店が並び、賑わう金刀比羅宮への参道。写真のちょうどつきあたりの小山の上に本宮があり、階段の上り口がうっすら見える。 |
参道には古い木造建築の風情のあるうどん屋も。とても風情のある町並み。 |
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門前町として栄えた琴平の町では、3月、6月、10月と年3回、市が開かれ、芝居、相撲、操り人形芝居なども賑やかに行われていました。金毘羅大芝居は天保6年 (1835年)、大坂の大西芝居(後の浪花座)を模して建立された芝居小屋で、富くじの開札場も兼ねていました。規模としては、江戸、大坂、京の三都にある小屋に匹敵するもので、東西の名優たち、いわゆる千両役者も金毘羅大芝居の桧舞台を踏んだそうです。
重要文化財に指定された後、現在の場所に移転(※)復元が完成したのは昭和51年(1976年)。そして昭和59年(1984年)、テレビ番組の撮影で訪れた中村吉右衛門丈、澤村藤十郎丈、中村勘九郎(当代勘三郎)丈が「旧金毘羅大芝居」に魅了されたことが発端となって、翌60年6月に歌舞伎公演が実現、大成功を収めました。以来、この劇場で歌舞伎の興行が1年に1回行われるようになり、毎年多くの歌舞伎ファンを集める注目の公演となりました。冷暖房設備がないことから、気候的に穏やかな4月の興行が定着し、回を重ねること二十七回。今年は4月9日(土)に初日を迎えます。
※移築される前は現在地よりももっと参道入り口に近い低いところにあった。現在、そこには琴平町立歴史民俗資料館が建っている。
平成 劇場獨案内
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