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スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』4ヶ月ロングラン公演!
『ヤマトタケル』は1986年の初演以来、その壮大なストーリーとスペクタクル満載な舞台が話題を呼び、再演を重ねるごとに洗練され、演劇界に“スーパー歌舞伎”というジャンルを打ち立てた伝説的な作品です。今回は、3月新橋演舞場、4月博多座、5月大阪松竹座、6月中日劇場と、4ヶ月に亘る4大都市での超ロングラン公演となります。
作・梅原猛、脚本/演出・市川猿之助、市川猿之助率いる澤瀉屋一門の市川右近、市川段治郎が主役ヤマトタケルとタケヒコのダブルキャスト。今回は3年の時を経て待望の再演です。ロングラン公演を前に製作発表記者会見が行なわれました。
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脚本、演出補 石川耕士―――
猿之助一座では、作品を上演するごとに、常にその時代のテンポに合わせ脚本を洗いあげます。3年前の『ヤマトタケル』では15分ほど短い改訂台本を作りました。
今回は、猿之助さんから「自分が以前に手がけたとおりのヤマトタケルをやってほしい」という要望があり、1998年大阪松竹座で、猿之助さんが最後に主演なさった舞台の演出で行うことになりました。出演者の方々の中にも、以前師匠がやった通りに一度は演じてみたかったと思っている方も多いのではないでしょうか。
ですから、「3年前に見たぞ」とおっしゃらずに、ぜひ劇場に足をお運びいただければと思っております。
市川右近―――
ヤマトタケルとタケヒコを勤めさせていただきます。師匠をはじめ、諸先輩の皆様方が全力を賭して築き上げてきた『ヤマトタケル』、初演以来22年の月日が流れました。当時、私もヘタルベという役で出演させていただいておりましたが、ヘタルベ少年同様、今も師匠に憧れる気持ちに変りはございません。
師匠のヤマトタケルをずっと横で見てきた者として、なんとかこの作品を受け継ぎ、そして、未来へ導いていきたいと思っています。
『ヤマトタケル』の初演の時に、大学を卒業し社会人一年生としてのスタートを切り、ライフワークとしてこの『ヤマトタケル』と共に歩んで参りました。再び、ヤマトタケル役をやらせていただきますことは、身のひきしまる思いです。これを節目に大きく飛躍できるよう、懸命に演じて参る所存でございます。
市川段治郎―――
前回同様、ヤマトタケルとタケヒコを演じさせていただきます。
スーパー歌舞伎も『ヤマトタケル』から始まって9作品になります。2005年からは我々が引き継ぐことになりましたが、師匠が情熱を傾けたスーパー歌舞伎を次世代に残すことが、今回の公演での大きな使命なのではないかと思っております。
師匠が倒れてから、『新・三国志III 完結篇』での代役や、玉三郎さんの相手役にしていただいたりと、大きな抜擢の舞台が続きました。当時は、本当にただただ舞台をこなすだけで、何が何だか判らないうちに終わってしまい、今思うと非常に残念な気持ちです。
今回、こんなにも早くリベンジをさせて頂く機会を頂きました。感謝の気持ちを持つと共に、その3年間での私の成長を、少しでもお見せできることが出来たら良いと思っております。
市川門之助―――
私も22年前の初演の時から出演させていただいております。当時、父(七代目門之助)や澤瀉屋のお兄さん(猿之助)らがみんなで、スーパー歌舞伎としての第1作目『ヤマトタケル』をなんとか成功させなければいけないと、熱く一丸となっておりました。今回は、それに負けないようなパワーを出して、これからも何度も上演を続けていけるようにしたいと思っております。
初演時、父が演じていた、皇后と姥神の2役をやらせていただきます。親子といえどもやり方はいろいろと違ってきますが、その情熱はしっかりと引き継いでいきたいと思っております。
市川笑也―――
私はこの22年間、スーパー歌舞伎は“皆勤賞”でございます。尚かつ、みやず姫は初演より変わらず勤めさせていただいております。これも、健康であるがゆえの、賜物でございますね(笑)
役者が変わりますと、同じ役でも、こんなにも違うのか、という感じを皆様受けると思います。今回はダブルキャストですので、必ず2回は見ていただければと思っています。千穐楽まで4ヶ月間、がんばって勤めたいと思っております。
市川猿弥―――
この度、とうとう帝の役をやらせていただくことになり、右近さんや段治郎さんのお父さんということに・・・お客様の中にも、「猿弥さんが帝で、大丈夫なのかしら・・・」と。一番大丈夫なのかなと思っているのは、実は私なんです(笑)。
『ヤマトタケル』初演の時は客席で見ていたのですが、師匠が白鳥となって・・・それを見て非常に感動し、“澤瀉屋!”と声をかけ、手を高く拍手をしていたのを覚えています。
市川笑三郎―――
22年前、中日劇場での『ヤマトタケル』で初舞台を踏ませていただきまして、本当に自分には縁の深い忘れられない作品でございます。毎回これが上演されますことを、喜んでいる一人でございます。
倭姫は、私が24歳の時に師匠のヤマトタケルで初めて勤めさせていただきました。その頃は、何が何だか判らなくて、師匠が怖くて、一生懸命日々やっておりましたが、だんだん、倭姫の役の実年齢も近づいてまいりましたので、少しは前とは違った物が作り出せたらと思っております。
また、前回から、帝の使者という役も一緒にやらせていただいております。最後にメッセージを持ってくるという大切な役だと思っておりますので、両役共に一生懸命勤めさせていただきたいと思っております。
市川春猿―――
『ヤマトタケル』が初演の時、私は歌舞伎の研修生でございましたが、初めて見たときに、本当に凄いインパクト、衝撃を受けた記憶がございます。
そしてこの『ヤマトタケル』に初めて参加させていただいたときから、弟橘姫をやらせていただいております。初演の時は、師匠に怒られて、稽古場でも特別に稽古をしていただきました。「もう、何回もやっているのに、全然良くない」と言われないように、一生懸命、色々自分でも工夫して、考えて勤めていきたいと思っております
4ヶ月のロングラン、4大都市での上演について―――
右近―――
ヤマトタケルは父・帝の命により各地に赴きますが、その思いと同じく4大都市で、皆様によろこんでいただけるような舞台を作ることが、師匠・猿之助へのご恩返しだと思っております。
たとえば、博多座はミュージカルから歌舞伎までできる劇場で、猿之助も「スーパー歌舞伎座だね」と申しております。博多では“博多座のヤマトタケル”がご覧いただけるのではないかなと思っております。
博多座に限らず、新橋演舞場、大阪松竹座、中日劇場と、それぞれの劇場の良さを生かした演出で、私達もそれに併せて懸命に演じますので、ぜひ各劇場でご覧いただければ有難いなと思っております。
ダブルキャストでのライバル心は―――
右近―――
無くてはいけない事なのかもしれませんが、ライバル心は無いですね。師匠の芸を受け継いで、懸命に切磋琢磨していくというのが私の心情です。お互いに助け合っていく役どころでもあり、共に戦い共に助け合っていければと思っています。
段治郎―――
まさにその通りです。右近さんと僕のニンは違うので、精神的にぶつかったり、ライバル心というのは生まれてきません。
ヤマトタケルの人生で共感できるもの―――
右近―――
師匠の生き様と重なるところもありますが、私自身も“天翔ける心(あまかけるこころ)”を持って生きて行きたいと思っています。
「天翔ける心、それがこの私だ!」というセリフがあります。一度師匠に“天翔ける心”について尋ねたことがあります。すると「これは人生の啖呵なんだよ」って。
なかなか一言では言えませんが、心意気や、生きていく心情、懸命に生きていく姿・・・自分にも少しずつ“天翔ける心”が見えてきて、共感するところが増えてきているように思えています。
段治郎―――
最後の宙乗りの前に、「思えばこの世の多くの人々は、富や名声を追い求めて疑おうとはしない。しかし私は、あまりそのようなものは関心がなかった」といったセリフがあります。
僕が役者を志したのは、何もお金持ちになりたいからではなく、ただ舞台の上に立ち、役を演じていたいという一心からです。自分にとって“天翔ける心”とは、そういう思いなのかも知れません。
前回の公演を振り返って、新しい公演に向けて―――
門之助―――
前回の公演では、前にやった方の型を受け継ぐべきか、新しい物にしなくてはいけないのか、自分が思っているものが合っているのか、間違っているのか。それがすごく心配でした。よく猿之助さんにも言われましたが「時代にあったものにしなくてはいけない」。今回はここ何年かで経験した事を役柄に出していけたらいいなと思っています。
猿弥―――
前回、ヤマトタケルが師匠から右近さん、段治郎さんに替り、私の役柄も、また一つ大きな役になりました。ですから、なんとかお客さんに楽しんでもらって、成功させなくてはというプレッシャーが凄くありました。今回も余裕はありませんが、とにかく懸命にやろうと思っています。
右近―――
最初から猿之助が出演しないスーパー歌舞伎というのは、3年前の公演が初めてでした。大変緊張し余裕の無い中で、なんとか我々の手で築いてきたものを受け継いでいかなくてはと、懸命に戦ったつもりでございます。
梅原先生が公演のパンフレットに「20年近く経ち、これが右近や段治郎によって上演されて、お客様がたくさん入って喜んでくださった時、この『ヤマトタケル』という作品は、歌舞伎の古典になるであろうと」書いてくださいました。そして千穐楽の前に楽屋にお越しくださって、「これは古典なんだ」と私たちを激励しくださいました。
その言葉を聞いたときに、本当に嬉しく、そうして前回なんとか受け継いでいったことが、今回の公演に繋がっているのだと思っています。今度は、ぎりぎり受け継がせていただいたものを、もうちょっと僕たちの中で昇華して、さらに未来へと繋げていきたいと思っています。
段治郎―――
前回は大きい責任に押しつぶされてしまった、という感があります。それから3年経ち、歌舞伎、その他のジャンルのお芝居でも経験を積んで、多々色々、血や肉を体に付けてきたと思っています。
今回は、本当に良い意味での余裕、遊びというものを持って、師匠の作ってきた『ヤマトタケル』をもっともっと拡げることが出来るよう、決意も新たに勤めていきたいと思っています。
春猿―――
前回、相手役が師匠であるとか、右近さん、段治郎さんという事とは関係なく、自分のお芝居の事でいつも頭がいっぱいでした。
ですから、師匠がいない公演という恐怖心よりも、自分がきちっとしたお芝居をお客様にみせられるのかどうか、という恐怖心の方が大きかったように思います。
きっと今回もそういう状況になるのではないかなと思っております。
笑三郎―――
『ヤマトタケル』という作品はスーパー歌舞伎の中でも、かなりの大作で、いわばお家芸をやっているのと同じくらいの大きな作品だと思います。
前回、新橋演舞場での千穐楽のカーテンコールで、師匠が舞台に現れたとたん、不覚にも舞台で大泣きをしてしまいましたが、そのくらいの思いをもって師匠の留守を守ってきたんだな、と改めて感じ入りました。
前回の公演の時より一つ成長した気持ちで、のぞみたいと思っております。
笑也―――
お芝居の主役というのは、オーケストラの指揮者みたいなもので、以前我々は師匠の演奏する『ヤマトタケル』を目指していたんです。
前回の公演でも、初日はそういう感じでおりましたが、上演を重ねるごとに、右近さんの指揮の時の『ヤマトタケル』と段治郎さんの時の『ヤマトタケル』では、やはり全然スピード感が違うことを感じました。
そういうものを今回も大切にして、それぞれの指揮の『ヤマトタケル』というものを演じていけたらなと思っております。
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会見では、市川猿之助のコメントも発表されました。
『ヤマトタケル』は、1986年2月、多くの方々のおカ添えにより、東京・新橋演舞場で初演されました。
上演まで3年の月日を費やし、歌舞伎の美意識・発想・演出法・演技術を駆使した新しい歌舞伎への挑戦であり、また私自身の俳優として、演出家としての挑戦でもありました。
梅原猛先生との出会いにより素晴らしい題材と原作をいただき、故・永山武臣松竹会長のご理解を得て、朝倉摂先生、吉井澄雄先生、毛利臣男先生、故・長澤勝俊先生、故・金井俊一郎金井大道具会長という、超一流のスタッフのご協カにより迎えた初日の感動は、今も私の胸に残っております。
そして、再演を重ねていくなか、本間明先生、石川耕士さんにも加わっていただき、益々活気ある舞台となっていきました。
本年私の弟子たちにより、2005年に引き続き『ヤマトタケル』が上演出来ますことは大変嬉しく感謝いたしております。
前回より、音楽を加藤和彦先生にお願いし、21世紀の『ヤマトタケル』に新たな「カ」をいただきました。東京・博多・大阪・名古屋と4か月のロングラン公演が成功し、『ヤマトタケル』が不死鳥のごとく羽ばたくことを、切に願っております。
若い『ヤマトタケル』が多くの皆様に感動を与え、演劇史に残る作品となるよう、何卒皆様方のご支援を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。
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