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尾上右近が「歌舞伎夜話」で願ったこと
7月28日(木)、歌舞伎座ギャラリーで開かれた「ギャラリーレクチャー 歌舞伎夜話」に、尾上右近が登場しました。
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歌舞伎座の千穐楽の2日後の「歌舞伎夜話」、ここはやはり歌舞伎座「七月大歌舞伎」で上演された『柳澤騒動』のおさめ役について聞かずにはいられません。「一生を描くという大役。娘役の経験も少ないし、片外し、御殿女中のようなお役もしたことがない。やったことのないものばかりが凝縮したお役をさせていただくことになって…」。
「お稽古場はいつも緊張します」。劇場の大きな空間と違って近い距離で、先輩俳優の目もあるなか、張りつめた空気感が若手俳優にとってどんなものか、想像に難くありません。今回も、「舞台稽古では、自分自身のことで精いっぱいだった」。それが、幕を開けて日が経つにつれ、共演者のことにも意識が向くようになり、「僕が多少なりとも慣れ、相手役の先輩と息を合わせることが意識できるように少しなりました。ここが踏ん張りどころだなと思うときが何度かありました」。
実は、子どもの頃、海老蔵、猿之助とは新橋演舞場の『宮本武蔵』で共演(平成15年11月)、舞台の外でも二人に可愛がってもらった覚えがあります。「そんなお二人が吉保、護持院、僕の中ではそれが大きかった」。右近にとってはさまざまな意味で特別な1カ月だったことがうかがえました。
8月は第二回となる自主公演「研の會」です。「2歳半か3歳のとき、“鏡獅子”になりたい、と思い、そのためにはどうすればいいのか…」と、たどるうちに歌舞伎俳優の道を歩んできたという、いわば右近の原点が昨年の『春興鏡獅子』であり、歌舞伎舞踊との出会いである『吉野山』でした。「獅子と忠信にまた会いたいです」。実際に踊ってみてわかってきたこともある一方、「理想とかけ離れた自分を受け入れる修業でもありました」と振り返りました。
「『鏡獅子』は前ジテのほうが難しいと思います。特に矢の字(の帯)をしょった衣裳の最初の形、その線を崩さずに踊る、しかもパッと広がって押し出していくことの難しさ。まだ全然わからないですけれど、自分の物差しにする役にしていけたら幸せだと思います」。後ジテでイメージするのは、歌舞伎座の踊り場に飾られた川端龍子の絵のような「凛とした」獅子。これから演じるたび、理想にどれだけ近づけたか確認していくことを、右近は“幸せ”と表現しました。
歌舞伎については、明確な言葉で自分がどう考えているかをしっかり語る右近ですが、「いわゆる世間話ができません」と正直に告白。休みの日に何をしているかの質問にも、稽古を休めば長く休みも取れるけれど、そうすると「やっぱり、後ろ髪をひかれるような思いがあって楽しめないので、出かけるのもどうしても近場になります」と、今は自分と歌舞伎を切り離すことは難しそうです。
右近の曽祖父は六世菊五郎ですが、父の清元延寿太夫は歌舞伎俳優ではありません。「歌舞伎を選んでやっている、ということが自分の潜在意識の中にある」と明かしました。「歌舞伎は全貌が見えないパズルのようなもので、そのピースをなるべくいろいろな人からいただく。ピースを自分なりにうまく組み合わせることができたら、何が描きたいかもわかってくるでしょう」と、現在の自分を分析。「僕という存在を応援していただけたら」とのお願いに、会場の皆さんから力強い拍手をいただいていました。
※歌舞伎美人での「歌舞伎夜話」リポートは今回でいったん終了いたします。次回以降は歌舞伎座ギャラリーFacebookに掲載予定です。