対談インタビュー

対談インタビュー 坂東巳之助×中村児太郎

―― 普段も巳之助さんと児太郎さんはよく話をなさるのですか?

児太郎: 巳之助兄さんは4つ年上ですが、何でも話せる先輩です。三津五郎のおじさま、私の父の福助という父親同士や、さらに勘三郎(十八世勘三郎)のおじとの3人の共演が多く、子どもの頃から父の出ているところに行くと、巳之助兄さんも必ずいたという感じですね。思いやりにあふれた先輩です。熱いときは熱く、一方で常にご自身のことも含め俯瞰して物事を見ている。踊りの坂東流の家元でもあって、すごいと思います。

巳之助: 児太郎くんは普段はやんちゃで活発ですが、芸には真面目。最近、舞台で着実に成果を挙げていて、小さい頃から知っている素の彼と同じ人?と思うほどです。玉三郎のお兄さんのご指導で彼が阿古屋を勤めたとき、そう感じましたね。

―― 自粛期間中、どんなことを考えましたか。

巳之助: 緊急事態宣言から8月の歌舞伎座再開で出させていただくまで、長い目で見て、しばらくは公演をしないことこそが、歌舞伎を守ることになるだろうと感じていました。

児太郎: 兄さんと連絡を取り合ってよく話しましたね。400年続く歌舞伎をこれからも続けていけるか、崩してしまうかは、僕たちの世代にもかかっていくことなので、いろいろなことを考えました。

―― 8月の歌舞伎座に出演されて、どんな思いでしたか。

巳之助: こうしたさなかでも足を運んでくださるお客様をありがたく感じましたし、一方で「歌舞伎が好きだからこそ、今は行かない」と判断してくださった皆様の存在に対する思いもありました。

児太郎: 8月、僕は『与話情浮名横櫛』のお富を初役で勤めました。先輩に直接お会いして教えていただくこともできない状況でしたので、勉強、お稽古をするのもなかなか大変でした。後援会の皆様に「ぜひ観に来てください」とも言えず、でも久しぶりにお客様の前に立つことができてうれしいとも感じ、複雑な思いでした。

―― 博多座公演に向けて一言。

巳之助: 今も予断を許さない状況です。博多座では、精いっぱい勤めるのは当然ですが、この状況でいかにお客様に安心して楽しんでいただけるかを考えて臨み、我々自身も安全を強く意識して勤めたいと思います。

児太郎: まったく同感です。加えて舞台に立てる喜びを感じながら、万全の対策をとって勤められたらと思っています。

―― 最後に、将来、お二人で共演できたらと思う演目はありますか?

巳之助: たくさんありますよ。

児太郎: 挙げていったらきりがないくらい。私の父と三津五郎のおじさまで素敵だった、『壺坂霊験記』や『名月八幡祭』は外せない気がします。

巳之助: 逆に「これをこの二人が? まさか!」と思われるような演目も手がけてみたいね。

児太郎: たくさん共演していきたいですね。

二代目 坂東巳之助

ばんどうみのすけ。大和屋。平成元(1989)年生まれ。平成3(1991)年9月歌舞伎座『傀儡師(かいらいし)』の唐子で守田光寿の名で初お目見得。平成7(1995)年11月歌舞伎座『蘭平物狂』一子繁蔵、『壽靱猿(ことぶきうつぼざる)』小猿で二代目坂東巳之助を名のり初舞台。11月の博多座では、『流星』の流星、『茶壺』の熊鷹太郎、『お祭り』の鳶頭を勤める。

六代目 中村児太郎

なかむらこたろう。成駒屋。平成5(1993)年生まれ。平成11(1999)年11月歌舞伎座『壺坂霊験記』の観世音で中村優太の名で初お目見得。平成12(2000)年9月歌舞伎座『京鹿子娘道成寺』の所化と『菊晴勢若駒(きくびよりきおいのわかこま)』の春駒の童で六代目中村児太郎を名のり初舞台。11月の博多座では、『勧進帳』の源義経、『羽衣』の天女、『お祭り』の芸者を勤める。