歌舞伎いろは

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こども歌舞伎スクール寺子屋 特別企画 歌舞伎、たのしい!

上村 吉太朗

部屋子として歌舞伎の世界に飛び込んだ若き俳優たちの
インタビューをお届け。
今回は、片岡我當さんの部屋子となり、
一門の上村吉弥さんのもとで修業を積む上村吉太朗さんです。

部屋子(へやご)とは?小さいうちから歌舞伎俳優のもとで、芸だけでなく楽屋での行儀など、必要なことを教えてもらう立場の俳優です。実際には、一般の家のお子さんが子役で活躍し、将来が期待されて部屋子となる例がほとんどで、大きくなってから芸養子や養子に迎えられることもあります。

インタビュー・文/松竹こども歌舞伎スクール「寺子屋」事務局
写真/井川由香、松竹写真室 プライベート写真/ご本人提供
構成/歌舞伎美人編集部

上村 吉太朗

ウルトラマンより歌舞伎!

『国訛嫩笈摺』どんどろ大師の場のお鶴を熱演、お弓(吉弥)とは母子なのですが…(平成19年5月ワッハホール)
見たお芝居はすぐに真似していました。後見をしてくださっているのは、なんと師匠です!

 祖父が師匠(吉弥)の同級生で、歌舞伎を観においでよという話になり、我當先生の鑑賞教室を観に浪切ホールへ行きました。4歳でしたが、おとなしく見入っていて母はびっくりしたらしいです。次に松竹座の『染模様恩愛御書』を観たときは(平成18年10月)、家に帰ってすぐに真似していました。人見知りでいつもウルトラマンの人形を握りしめていたのに、師匠の楽屋にお邪魔したときはあんまり居心地がよくて、それを置き忘れたのにも気づきませんでした。

 その後、「お芝居は好きかい? 出てみたい?」と、師匠から自主公演「第三回 みよし会」(平成19年5月大阪 ワッハホール)の『どんどろ』巡礼お鶴のお話をいただき、「出たいです!」と即答。日本舞踊のお稽古などを始めました。その舞台で「上村吉太朗」のお名前もいただき、師匠と一緒の舞台に立てることがとにかくうれしくて仕方なかったです。

 それからも「みよし会」や、我當先生の「ときわ会」「歌舞伎鑑賞教室」に出させていただきましたが、千穐楽はいつもわーわー泣いていました。公演が終わると師匠と離れなければいけないのが、なにより嫌だったんです。だから、部屋子のお話をいただいたときは、これで師匠と別れなくて済む、ずっと一緒にいられる、それがもううれしくて!

 本当に優しくて温かい、あんな素晴らしい師匠ほかにいないんじゃないかと思うほどです。師匠と出会わせてくれて「おじいちゃん、ありがとう!」です。そして、部屋子にしてくださった我當先生は、僕にとって言葉に表せないほどとても大きな存在。「初めにいただいたお名前を大切にしなさい」とおっしゃり、そのまま、上村吉太朗を名のらせてくださいました。感謝の気持ちでいっぱいです。

『供奴』『連獅子』、踊り大好き、いつかは『三社祭』も…

『三人連獅子』(平成25年10月大阪松竹座)では愛之助さんと壱太郎さんの親獅子で、念願の子獅子を

 お役をいただいたら、まず師匠にしっかりとみていただきます。『加賀見山』の志賀市は目の見えない役で(平成22年3月南座)、しかもお琴を弾きながら唄う場面があります。お琴は触るのも初めてでしたが、舞台ではお琴を見ないで弾く役です。家でもいっぱいお稽古してすごく難しかったけど、千穐楽には手元を見ないでできるようになりました。

 『蘭平』の繁蔵は(平成23年5月大阪松竹座)、花道で見得をするのが気持ちよかったです。花道、大好きなんです。踊りも好きで、『供奴』(平成25年4月南座)や『三人連獅子』の子獅子(同年10月大阪松竹座)を踊らせていただけたのはものすごくうれしかったです。今、お稽古で『三社祭』を習っていますが、いつか舞台でできたらなあと思っています。

 同じ踊りでも『GOEMON』の友市で踊ったフラメンコは大変でした(平成23年11月システィーナ・ホール、同25年2月大阪松竹座)。でも、重心を低くして足を踏み鳴らすところとか、日本舞踊に似たところがあって、振りも近いように思いました。今年10月の松竹座では、友市を卒業、同じ作品で違ったお役なのが面白かったです。友市役の子役さんとは、「友市はこのときどんな気持ちなのか」といった話をしました。

上方の匂いのする役者になりたい

『供奴』(平成25年4月南座)。隈取も少しずつ自分でできるように練習中です。真剣です!

 大変だったのは『廓文章』の太鼓持です(平成24年1月浅草公会堂)。太鼓持の雰囲気とか気持ちとか、なかなかつかめませんでした。自分ではやっているつもりでも違うと言われ、できなくて、くやしくて…。師匠がみっちりご指導くださいました。舞台に上がってからは、師匠にもお客様にもほめていただき、ちょっとほっとしました。

 上方のお芝居は「間」がすごく難しいです。太鼓持も、『伏見の富くじ』の禿(かむろ)や(平成24年2月大阪松竹座)、『雁のたより』の下剃の安なども(同年9月大阪松竹座)、相手との掛合いでお芝居ができ上がるので、師匠がお相手のせりふを言ってお稽古してくださいました。普段から関西弁をちゃんと話すようにして、坂東竹三郎さんのような上方の匂いのする役者さん、素敵ですよね、そんなふうになれるよう頑張ります。

 今も大阪に住んでいるので、やっぱり、上方のお芝居は大切にしたいです。憧れのお役は『夏祭』の団七。上方の雰囲気をたっぷりと、松竹座で演じたいです。あっ、東京でも!

自分で決めたことはやり抜く

 師匠には、初舞台のときから「自分で決めたことは最後までやり抜きなさい」と教わっています。その分、自分で考えることを大事にしてくださいます。自分自身が納得いかなくて、師匠にあたってしまうこともあるんですが、それでも温かく見守ってくださる…。毎回、あとで反省しています。

 もっとたくさん歌舞伎を見て勉強したい。25日間、朝から晩まで劇場にいたいくらい。学校の勉強もしなきゃいけないので、なかなかそうもいかないですが(笑)。こんな役者になりたい、という具体的な姿はありませんが、先輩方のいろんな素晴らしい演技を見てたくさんお稽古して、どんな役者になれるか僕が一番わくわくしています。

一問一答!

吉太朗さんの素顔

現在、中学二年生。「2月生まれで、毎年スキー場で迎えていた誕生日も、最近は楽屋でお祝いしていただくようになりました!」と言う吉太朗さん。学校生活やプライベートのお話をてら子、やー坊が聞いてきました!

やー坊
今、頑張っているお習い事は?
小鼓
「『供奴』(平成25年4月南座)の足拍子を踏むためにと、始めました。お琴や三味線にも興味があり、和の楽器や音楽が好きです。出身が岸和田なのですが、1歳の頃から、だんじり祭のリズムに乗り、太鼓を叩く真似をしていたらしいです」
堂々たるツケ打ちぶり、さすが岸和田っ子!
てら子
あだ名は?
きっちゃん
「愛之助若旦那が付けてくださいました! (ファンも“きっちゃん”と呼んでいいですか?)あ…、はい!」
やー坊
歌舞伎以外で好きな舞台芸術は?
ミュージカル、サーカス、バレエ…、パフォーマンスが大好き!
「『ライオンキング』が好きで、10月の『GOEMON』の楽屋では、友市役の子役さんとシンバごっこをしていました(笑)。『オーヴォ』、観に行きたかったなぁ…。バレエは母が好きなので、小さい頃からいろいろ観ています」
てら子
リフレッシュ方法は?
友達と遊ぶこと
「USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)行きたいですね〜。新しくできたハリー・ポッターのエリア、友達はみんな行ったみたいで、くやしいーッ!」
南座出演のときは東映太秦映画村へ。「知らない人から写真撮らせて、とよく言われました」とお母様。なるほど、キマってます!
やー坊
好きな教科、苦手な教科は?
好きなのは数学、苦手は英語!
「図形が好きです。見た感じでわかるから。歌舞伎もそうですけど、目で見て、というほうが得意な気がします」
「英語はねぇ、単語が多過ぎますよ…(ぶつぶつ)。つづりを何度も書いて覚えています。(せりふも覚えますよね?)せりふはリズムで覚えるので、英単語の覚え方とは違います。実は明日から期末テストなんですけど…(失礼しました、これにて質問終了!)」

吉太朗さんからのメッセージ


歌舞伎が好きな皆さんへ

「好きというその気持ち、間違っていない!」
歌舞伎好きの子どもは、「珍しいね」と言われることが多いと思います。学校で友達と歌舞伎の話をしても通じなくて困っている、という人もいるでしょう。僕がそうでした。
僕が小学生の頃は今より歌舞伎のことが知られていなくて、同級生に「ヘンだ」と言われることもありましたが、自分ではまったく「ヘン」だと思っていませんでした。今では、「かっこいい」と僕を応援してくれています。
歌舞伎が好き、という気持ちは絶対に間違っていません。自分のやりたいことをやる、それが素晴らしいことだと思います。

上村吉太朗

かみむら きちたろう
美吉屋。片岡我當の部屋子。平成13年2月26日生まれ。
19年5月第三回みよし会『傾城阿波の鳴門 国訛嫩笈摺(くになまりふたばおいずる)』「どんどろ大師の場」巡礼お鶴で上村吉太朗を名のり初舞台。
21年12月南座『時平の七笑』稚児松乃丸で部屋子披露。

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