【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。
こども歌舞伎スクール寺子屋 特別企画 歌舞伎、たのしい!
歌舞伎公演のオーディションを受け、初舞台を踏んだのは5歳のときでした。よく覚えてないですし、言葉でうまく説明できないのですが、すっかり歌舞伎に“はまってしまった”んですね。ですから、お稽古が大変と思ったことはありません。
子役のときに教えていただいた音羽菊七先生(※)からは、演技だけでなく、歌舞伎の世界で必要な礼儀を叩き込まれました。今のように、事前に台本を頂いたり、資料として舞台映像のビデオを見ることもできなかったので、せりふを教えていただいたら、まず初めに、自分でみみずの這ったような字で書き覚える、それからお稽古です。ものすごく厳しかったですが、その分、愛情にあふれていてとても可愛がってくださいました。今になってありがたいと思うことがたくさんあります。
地方公演ではその月だけ現地の小学校に転校することもありました。友達と離れるのは寂しかったけど、新しい友達もできたし、マラソン大会などの行事にも参加し、楽しく過ごしていました。勉強もしっかりできていないと歌舞伎に出演させてもらえなくて、通知表チェックもあったんです。何事にも真剣に取り組む姿勢が身につきました。そのせいか、当時の子役仲間はみんな優秀なんですよ。
※音羽菊七(おとわ きくなな)。歌舞伎子役の演技指導者。平成17年没。
師匠である(十八世中村)勘三郎さんには、早くから「うちの子になってよ」とお声をかけていただいていました。「歌舞伎役者になりたい」という思いがあったのでうれしかったのですが、人生を決めることなので家族ともよく話し合いました。最終的には「自分のやりたいことを」と言ってもらい、僕自身が部屋子になって歌舞伎の道を進むことを選びました。小学五年生でしたが、決断は間違っていません、断言できます。
勘三郎さんは「お前は芝居の勉強ばっかりしていればいいんだよ」と、本当にいろんなことを教えてくださいました。中村屋でよかった、一緒にお芝居ができてよかった、と心から思います。一緒にしたいお芝居、教えていただきたいこと、聞きたいこと、まだまだたくさんあったのに…。でも、いつも見ていらっしゃると思うので、いつかは天国の勘三郎さんに認めてもらえる役者になれるよう、頑張っています。
勘三郎さんには、「旦那」という呼び方はやめてよ、と言われていたので、本当は(本名の哲明から)「のりパパ」と呼んでいました。今日は恥ずかしいので「勘三郎さん」、でお話します(照)。
勘三郎さんは、子役のときは褒めるばかりでしたが、部屋子になってからは厳しかったですね。怖かったです。何度も言われていたのは「心で芝居をしろ」、です。舞台に立つときはいつも心がけています。
『筆屋幸兵衛』のお雪を勤めたときでした(平成19年12月歌舞伎座『水天宮利生深川』)。声変わりで苦しかったのですが、「声が出なくたって関係ない、心で芝居をすれば伝わるんだ、何をするにもココ(心)だから!」と、厳しく教えられました。舞台の上でもダメ出しがあるんです。ひたすら家でお稽古していくのですが、実際に舞台の上で勘三郎さんとお芝居をしてわかることのほうがたくさんありました。
そして、千穐楽前のクリスマスにお手紙を頂いたんです。「心で芝居をするということがわかってくれたと思う。これからも頑張ろう」と。これはうれしかった。大阪平成中村座で『紅葉狩』の山神を勤めたときは(平成22年10月)、「すごくよかったよ!」と、がっちり握手してくださいました。
目指すお役は、勘三郎さんがなさったものならなんでも。『身替座禅』の右京、『すし屋』の権太、『鏡獅子』…、もう全部ですね。勘三郎さんに課題として言われていた『阿古屋』も、17歳になったときに約束したので楽器のお稽古を頑張っています。実現できたら最高です。
コクーン歌舞伎は、普段の歌舞伎のお稽古と取り組み方が違って面白いですね。『三人吉三』では(平成26年6月Bunkamuraシアターコクーン)、演出の串田和美さんのワークショップで数人ずつに分かれて即興の寸劇をやり、僕たちのチームの寸劇が実際の芝居に取り入れられたんです。つくり上げていくという過程が刺激的でした。
『野田版 鼠小僧』(平成15年8月歌舞伎座)などでお世話になった野田秀樹さんも、『三人吉三』を観に来てくださいました。「歌舞伎も芝居の一つだ」というのも勘三郎さんがよくおっしゃっていたことなので、今後は歌舞伎以外の演劇も勉強し、いろんなことを吸収していきたいです。
とにかく舞台に立てることが幸せ。江戸時代から400年以上続く歌舞伎ですから、しっかり責任をもってやっていきたいと思います。
「大学では演劇・映像について学んでいます。学食でご飯食べて、友達と遊んで、普通の大学生ですよ(笑)」、そんな鶴松さんにプライベートの質問を。てら子、やー坊が聞いてきました!
「小学校では一年から五年までサッカーのクラブチームに入っていました。中高では陸上部で一日15kmくらい走っていましたね。大学では少しだけフットサルサークルにも入りました。巡業などで大道具さんとすることもあります。遊ぶときは遊ぶ、それがいい息抜きになります」
ゴールを決めるか!? ポジションはフォワードなど、主にオフェンスでした!
「必修科目が多くて大変、歌舞伎の講義も取っています。映像や西洋演劇の講義も必修なのですが、カタカナが苦手で、登場人物の名前ですでに困惑しています…(汗)。普通に、友達とラーメン食べにも行くし…。トンコツが好きで、オススメの店は麵屋武蔵さんです」
「学校の友達からは本名から、“大希”“大ちゃん”。楽屋では、最近はあまりなくなりましたが、“ツルマティ”“チョロ松”などと呼ばれていました。あ、皆さんには“鶴松”でお願いします(笑)」
「沖縄が大好きで、夏に3年連続で行っています。初めて行ったときにもう感動しちゃって! 友達と石垣島に行った後、僕だけ本島に移動して別の友だちと合流するくらいでした。夏が大好きで、真っ黒になるまで焼くんです(笑)」
影になって暗いわけではありません、日焼けで真っ黒なんです。歌舞伎が化粧をする演劇でよかった!
「下北沢にある小劇場に、コクーンで共演した方々の舞台を観に行ったり、大学の友達が出ている舞台を観に行くことも多いです」
「自分がいろいろなものに変われる!」
舞台に出てお姫様、武士や盗賊、妖怪や動物など、自分自身がいろいろなものに変われるというのは歌舞伎独特のもので、やっていてとても楽しいです。それだけ歌舞伎は奥深く、死ぬまで勉強しても飽きることのないものだと思っています。
僕もこれからもっと努力を積み重ねていきますので、皆さんも頑張ってください! もしかしたら将来、皆さんと一緒の舞台に立つことがあるかもしれません、その日が来るのを楽しみにしています。
なかむら つるまつ
中村屋。十八世中村勘三郎の部屋子。平成7年3月15日生まれ。
12年5月歌舞伎座『源氏物語』茜の上弟竹麿で、本名で初舞台。
17年5月歌舞伎座『菅原伝授手習鑑』「車引」舎人杉王丸、『弥栄芝居賑(いやさかえしばいのにぎわい)』中村座役者鶴松、『髪結新三』紙屋丁稚長松で二代目中村鶴松を名のり部屋子披露。