歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



 

私と歌舞伎座 〜父と息子の時間を過ごした楽屋

 菊五郎さんにとって歌舞伎座は公演の間は毎日長い時間を過ごすもうひとつの家であり、同世代の市川團十郎さんや三代目尾上松緑さんと遊んだ場所。そして楽屋は、息子の菊之助さんと二人きりで過ごし成長を見守ってきた場所でもあります。
 「今回の初お目見得の準備をしていると、節々で菊之助の初舞台の頃を思い出します。妻のいないところで二人きりで楽屋にいるのも初めてでしたからねぇ、舞台を勤めるだけではなく思わぬ発見だらけでした。稽古や舞台上での礼儀や心づかいはもちろん、食事や着替えといった、普段家では言わないことも楽屋では私が言わなければならなくて戸惑いましたし」
 同じ楽屋、同じ舞台の空気を分かち合ってきた息子。その歌舞伎座で『義経千本桜』の静御前と忠信で共演するまでに時は流れました。
 「私にとっては菊之助、菊五郎の襲名をした場所です。建物はずいぶん古くなってしまいましたが、歌舞伎座の舞台から客席を観る時の賑やかさは格別です。花道を出た時に、これほど気持ちのいい劇場はありません。役者というのは決められた劇場で精一杯の芝居をする仕事ですから、新しい歌舞伎座でもできる限りの芸をお観せするだけです。江戸の香りがする、芝居小屋の空気が漂う場所になるといいですね」
 

七代目尾上菊五郎

1942年10月2日生まれ。七代目尾上梅幸の長男。1948年4月新橋演舞場『助六曲輪菊(すけろくくるわのももよぐさ)』の禿で五代目尾上丑之助を名乗り初舞台。1965年5月歌舞伎座『寿曽我対面』の十郎ほかで四代目尾上菊之助を襲名。1973年10月、11月歌舞伎座『弁天娘女男白浪』の弁天小僧菊之助ほかで七代目尾上菊五郎を襲名。江戸気風を漂わせるさっそうとした立役、端整で上品な女方と幅広く演じる現代歌舞伎を代表する俳優のひとり。
『白浪五人男』弁天小僧菊之助の、美しくからりと人生を駆け抜ける悪党ぶりは当たり役。『魚屋宗五郎』『お祭佐七』など、五代目、六代目から受け継ぐ音羽屋の特色である江戸前の粋な芸を自分の役にし、余裕をもって演じている。『義経千本桜』の忠信、『仮名手本忠臣蔵』の塩冶判官と勘平、『勧進帳』の富樫と義経、舞踊『春興鏡獅子』、『船弁慶』と、古典から舞踊まで役の性根が滲み出る表現で観客を魅了する。菊五郎劇団を統率し、古典歌舞伎の継承と後進の指導育成、さらには復活狂言の上演にも力を注いでいる。日本芸術院会員。重要無形文化財保持者(人間国宝)。



私と歌舞伎座

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