歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



暑い日は水分たっぷりの水菓子で一息入れた江戸っ子

 暑さでほてった体には冷たいデザートが嬉しいもの。江戸の夏のデザートといえば、筆頭はスイカでしょうか。南アフリカ原産のスイカが日本に渡り、長崎から江戸へとたどり着いたのは、寛永年間(1624?1644年)のこと。当初は果肉の赤さが生首を連想させて気味が悪いと、口にしない人も多かったといいます。とはいえ涼感を呼ぶ、さっくりした食感とたっぷりな水分。江戸中期を過ぎる頃には、夏になると大きな樽を逆さに伏した台の上に、切り分けたスイカを並べた店が登場して、庶民に親しまれました。

 「水菓子」と書いた赤提灯をともしたスイカ売り。「水菓子」とは果物のことで、中には桃や瓜を並べた店もあったようです。ところで、この時代の瓜といえば、黄色い真桑瓜(まくわうり。写真下)のこと。1970年代頃までよく売られていたので、昭和前半生まれの方には、懐かしい果物かもしれません。

 美濃(現在の岐阜県)の真桑村から江戸に指導者を招いて、現在の府中や新宿あたりで栽培、将軍家に献上された真桑瓜。果物の種類が少なかった江戸時代、さっぱりと上品な甘味は、庶民にも大人気の高級水菓子でした。冷蔵庫のない時代ですから、冷やすのは井戸水で。小林一茶の句、「人来たら蛙になれよ冷やし瓜」は、出掛けに井戸に放り込んだ真桑瓜に向かって、「誰か来たら蛙に化けるのだよ、決して食べられてしまってはダメだよ」と言い聞かせているのが笑えます。

 江戸には「冷水売り(ひやみずうり)」なる商売もありました。ペットボトル入りのミネラルウォーターに、「水まで買う時代なのね」と驚く年配の方が時折おられますが、なんの、江戸時代にも1杯四文(約100円)ほどで冷水が売られていたのです。もっとも江戸のそれは、白砂糖を入れた冷水に白玉団子が浮いたもので、水というよりデザートに近いかも。「ひゃっこい、ひゃっこい」の呼び声とはいえ、井戸から汲みたてならいざしらず、暑い日中を売り歩くうちにはぬるくなってしまいます。それでも江戸の人々には、夏を乗り切るのに大切な水分補給やエネルギー源となったことでしょう。