歌舞伎いろは

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江戸時代は鰯の大漁期? 長屋のおかずはこれが定番

 急に高くなった気がする空を見上げると、どこまでも青い折り紙色を背景にヤワヤワと浮かぶ鰯雲(いわしぐも)──。今年も涼風が吹く季節が巡ってきました。「イワシ」は秋の季語。ちょうど今が旬の魚です。

 近年こそ漁獲高が減って、けっこうな値がついている鰯ですが、かつては、ごくごく大衆的な魚でした。江戸時代には“下魚(げざかな)”と、気の毒な呼ばれ方。随筆『塵塚談』(1814年)には、「いはし、予若年の頃はおびただしく取れしと見へて毎日いはし多く来れり」とあります。大漁なのです。旬で安いのです。庶民のおかずを番付けした江戸後期の料理書『日用倹約料理仕方角力番附』には、「めざしいわし」がみごと魚類方の大関に上がるほど。きっと秋の長屋では、やりくり上手なおかみさん達が、安価なところをさらに値切った鰯を焼く匂いが、向こう三軒両隣から漂って──。

 「隣の子おらが家でも鰯だよ」。

 古典落語『猫久』でも、長屋の住人、熊さん夫婦の昼のおかずは鰯。おかみさんがご亭主に、「鰯をこしらえとくれ、南風が吹いているんだよ、ぽかときているんだよ、腐っちまうよ、い、わ、しッ」と、そんな調子でわめいてるということは、この時代は魚をさばくのは、男の役目だったのでしょうか。確かに「手がくさくなるので魚料理は苦手」という女性は現代にもいますが。結局この夫婦の鰯は猫に盗まれてしまうのですが、予定していたメニューは、ぬた。生の鰯をおろして酢味噌であえる料理です。「女房が怒鳴るから、昼のおかずが鰯だと近所に知れてしまう」と熊さんが恥ずかしがるほど、“貧しき人”の食べ物として扱われていた鰯ですが、ぬたにこしらえられるほど新鮮なら、誰にとってもなかなかの美味だったとみえ─。

 「どなたへも結句下魚がうまがらせ」。

 現代では、鰯の脂にはドコサヘキサエン酸(DHA)やエイコサペンタエン酸(EPA)がたっぷり含まれていることが知られています。メタボが気になる江戸庶民はいなかったでしょうが、中性脂肪や悪玉コレステロールを減らしてくれるありがたい健康食。カルシウムやその吸収を助けるビタミンDも豊富ときては、江戸庶民に倣って、私たちも鰯をもっと味わいたいものです。ちなみに焼くより煮た方が脂が落ちず、残らず栄養をいただけます。

いわし雲、うろこ雲と呼ばれる巻積雲(けんせきうん。※絹積雲とも言う)。高積雲(ひつじ雲)に比べて1つ1つの雲が小さく、高いところにあるように見える。

鰯の群れ。沿岸性の回遊魚で、群れで行動する。

 
 
 

上左:片口いわし
上右:うるめいわし
左:真いわし