歌舞伎いろは
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江戸時代の暑さ対策は障子をあける程度しかありませんでした。そのため、冬の寒さを防ぐことより夏の暑さのしのぎやすさが重視されていました。冬場は火鉢などで「暖」を取ります。

其の三 暑い日には打ち水

 鎌倉時代、兼好法師は「家の作りやうは夏をむねとすべし」と述べています。「暑き比(ころ)わろき住居は堪え難き事なり」(『徒然草/五十五段』)という考え方は、江戸の頃にも受け継がれ、冬の寒さを防ぐことより夏の暑さのしのぎやすさが重視されています。たとえ旗本屋敷でも江戸城でも冬場に部屋そのものを暖める方法はなく、火鉢や炬燵など部分的に「暖を取る」しかありません。農家にある囲炉裏なら家そのものを暖められますが、ただでさえ火事に悩まされている江戸という都会では取り入れにくいスタイルでした。

 その代わり夏場は、屋敷や城内のいくつもの襖や障子を上手に開けていくことで空気の流れを良くすることができました。ところが庶民の裏長屋の場合、板壁しかないために熱を受けやすく、しかも開け放つことのできる場所といえば出入口と奥の障子程度。部屋同士が背をつけている棟割長屋の場合は、出入口のみになります。ですから、暑い日には裏長屋の間にある路地に打ち水をしました。路地という共同空間は井戸端会議の場所でもあり、また気化熱で気温を下げてみなで涼を取るところでもあったのです。それは、都会暮らしならではの場所でした。
 世話物の代表作『髪結新三』(本名題『梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)』)では、しっかり者の長屋の大家が新三の弱みにつけこみ「鰹は半分貰っていくよ」というくだりが有名です。「大家といえば親も同然、店子といえば子も同然」というこの時代では、長屋の大家は時には役場の出先機関としも機能し、店子が頼りにする存在でした。

くらしの今と昔

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