歌舞伎いろは
【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。


2月初午はお稲荷さんの祭りです。江戸は1つの町でいくつもの稲荷社があり、それぞれが祝うのですから大にぎわいでした。2月というと現代では寒さの厳しい時期ですが、旧暦の2月初午は春先です。年によっては、現代の暦の3月中旬にあたります。
寺入り(入学)する年齢も時期も任意なので、5歳からという子がいるかと思うと10代に入ってからというケースもあります。硯、筆、墨のほか机も基本的に寺子(生徒)が持参します。実用的な「読み書きそろばん」のほか、礼儀作法も学べました。

其の一 初午から学びも始まる

 江戸時代の子供たちが通う学校は「寺子屋」が有名ですが、これは上方の呼び方。江戸では「手習い」とか「筆法指南」、「手習い指南所」といいました。子供はもちろん、大人も通えたそうです。「手習い」「筆法」というだけあって、みな読み書きをしっかり学びます。おかげで江戸の人々の識字率はとても高く、これには幕末にやってきた外国人たちも驚いたとか。しかも、この時代は、現代では読みにくい部類とされているいわゆる「くずし字」が基本。当時は目にする文字のほとんどが草書や行書だったのです。

 師匠の元に集まった寺子たちは、自分の習得レベルや学びたい内容によってばらばらの教科書を使い、各自で勉強します。文字を練習する子、そろばんをはじく子、礼儀作法の本を読む子など、さまざまな生徒を1人の師匠が指導していました。女性の師匠も多くいたそうです。

 町の子の多くが、数えで7、8歳になると手習い師匠のところに通いました。寺入り、つまり入学の日は自由でしたが、縁起が良いのは2月の初午(はつうま)といわれています。初午は稲荷様のために赤いのぼりを立ててにぎやかに祝う日でもあります。

くらしの今と昔

バックナンバー