劇場を支える力-照明篇- 劇場を支える力-照明篇-

 私たちを特別な時間に連れていってくれる舞台作品。日々、公演が行われる劇場は、俳優が見せる熱演はもちろん、さまざまな角度から舞台を創り上げる仕事に就く方々により支えられています。
 本特集では、劇場に関わる方々のインタビューを通して、松竹の舞台を支える縁の下の力持ちをご紹介します。新しい視点から、観劇時のお楽しみを見つけていただけるかもしれません。

 今回登場するのは、歌舞伎座 照明の平野茂氏です。観客を歌舞伎の世界に誘い、歌舞伎俳優を美しく魅せる力をもつ「照明」。歌舞伎座で30年以上にわたって働かれてきた平野さんに、歌舞伎の舞台における照明の歴史から、お仕事へのこだわりまで、貴重なお話をうかがいます。


歌舞伎座 照明
平野茂(ひらのしげる)

松竹株式会社 歌舞伎座 照明シニアマネージャー。日本工学院専門学校卒業後、株式会社パシフィックアートセンター(PAC)歌舞伎座勤務を経て、平成9(1997)年、松竹株式会社に入社。第五期歌舞伎座開場時より照明課長を務める。令和元(2019)年12月『本朝白雪姫譚話』で第39回日本照明家協会舞台部門選考委員特別賞を受賞。フランス、イギリス、ロシア、モナコ等、松竹主催の歌舞伎海外公演の照明も担当。


お客様にご満足いただける照明を

ー舞台での照明の役割について教えてください

 場所や建物を模した舞台装置に、時間や天候、季節などを視覚的に表現していくものが照明だと思っています。星や月が出ている様子、朝の風景、夕方から夜になる変化、冬の寒さを出したり、暑い夏のじりじりとした空気を表現したり…そういうものが舞台上の照明の役割だと思っています。お客様に視覚的に訴える形で、いかに舞台の世界観を出すかということですね。

歌舞伎座公演に向けた、明かり合わせの様子

 実は照明は、照らす(光を当てる)だけが役割ではありません。舞台の場合は、「ここには当てないでくれ」と指示をいただく場合もあるんです。舞台転換の際に真っ暗(暗転)にしたり、演出の関係で、「ここは見せたくない」という希望をいただくこともあります。最低限の「見せる」ということから、魅力的に「魅せる」ということに変わっていくのが、おもしろいところですね。照明は、役者の演技をより一層引き立て、演劇にスパイスを加えるものだと思っています。

客席に操作卓を設け、舞台上の照明と客電の微妙な調整を行っていく

ー歌舞伎の照明は、一般の演劇の照明とどう違うのでしょうか

 歌舞伎の場合は、客電(客席の照明)もとても重視します。客席の明かりを、舞台と一緒に明るくしたり、暗くしたり。そうすることで、よりお客様に臨場感や、一体感を味わっていただけるというのは、ほかの演劇の舞台との大きな違いですね。その際に、一番重要なのは数値ではなく、目で判断すること。たとえば、客電の何パーセントかの明るさの違いによって、舞台の見え方が微妙に違ってきます。ライトの光源によっても変わってくるので、自分の目を信じて作業することが大切だと思っています。客席と舞台の明かりのバランスも、実際に目で見て感じるものなので、経験の蓄積が必要だと思います。

 また、歌舞伎の舞台では、役者の演技を引き立たせるために、照明は目立たないようにつくりあげるということも、難しくも、大切な点です。たとえばコンサートなどでは、ピンスポットライトが目立ちますよね。歌舞伎の照明は、平面の明かりが多いので、ボーダーライトをよく使います。影をなるべくなくすライティングになるので、全体のバランスを見てつくることが一番大事になるんです。海外の劇場では逆に影を出すような照明が多く、ボーダーライトはあまりありませんので、海外公演の際には劇場の大きな違いを感じました。

第五期歌舞伎座・ボーダーライト
Ⓒ丸茂電機
操作卓での調整後は、舞台上で実際に明かりを目で確かめる

温故知新の精神

ー照明の歴史についても教えていただけますか

 昔は太陽の光の下で演じていましたが、やがて舞台の上に屋根が付いた劇場ができて、陽が入らなくなり、窓からその太陽光を入れるようになりました。その後、客席まで屋根付きの劇場ができ、今度は、ろうそくを使って役者さんを照らすようになります。次にランプが登場し、それがガス灯になり、やっと電気の明かりが出てきますが、当初は舞台を照らすというより、客席全体と、舞台も一緒に照らすシャンデリアのような形式のものでした。今の形の舞台照明ができ始めたのは、昭和の頃ですね。

第四期歌舞伎座・オート調光器
Ⓒ丸茂電機

第四期歌舞伎座・デジタル化された調光卓
Ⓒ丸茂電機

 僕が体験したなかでは、調光器がコンピュータに変わったことが大きな変化です。歌舞伎座に入った平成元(1989)年にはオート調光器が使われていましたが、平成3(1991)年に、一気に最新式のコンピュータに切り替わりました。その数年前から世間的にコンピュータ化の流れはあったものの、歌舞伎座は一気に導入されたので、うまく融合させるのが大変でしたが、先輩が試行錯誤を繰り返しながら、手作業だった明かりづくりを、コンピュータ上で再現できるよう工夫してくださいました。コンピュータは一度つくったものを繰り返すという点では確実性がありますが、照明の場合、明かりをつくりあげるまでが、手作業よりも時間がかかって実は大変なんです。

 現代では、LEDの登場で光源自体が変わりつつあるのも大きな変化で、今がちょうどその過渡期にあります。歌舞伎座の場合は、客電系統は全部LEDです。一方でLEDは演色性(*)や、フェードイン、フェードアウトが難しいので、まだ舞台上ではLEDをほとんど使っていませんが、提灯などに灯りが点いて見えるようにライトを入れる「火入れ」という演出には、すでにLEDを使用しています。今後LEDをどれだけ使っていくかというところが、歌舞伎の世界では難しいところですが、古いものを残しつつ新しいものに少しずつ移行していくことになるかと思います。

*演色性・・・照明による物の色の見え方のこと

上手フロントサイド室・花道をフォローするスポットライト
Ⓒ丸茂電機

センタースポット室 
Ⓒ丸茂電機

ー劇場を支える一人として、大切にされていることはなんでしょうか

 お客様にご満足いただけるものをつくるのは当たり前のことですが、お客様は、照明ではなく、役者をご覧になるために劇場にお越しくださっています。そのため、役者が満足して演技できる環境をつくることが、非常に大切だと思っています。役者が何も心配なく、こういう環境で演技がしたい、と思える照明をつくりあげることで、最高のパフォーマンスをお見せできる。役者が満足できる照明をつくることが、ひいては、お客様にご満足いただける照明につながると思っています。

 また、私たち歌舞伎に関わる人間は「温故知新」という精神を忘れてはいけないと思います。古典と言われる作品も、上演当初は新しいものでした。当時の手法をもう一度学び直して、古いことをきっちり理解してから新しいことを導き出そうという考え方をもつようにしています。役者も、大道具の方も、昔の手法を大切にされていますし、そこから、「今ではこうやった方がより効果的なのでは」というアイディアが生まれると信じています。


 今回は平野さんに、時間や天候など、目で見て五感に訴えかけるような照明づくりについて、こだわりや思いをうかがいました。
 普段は見ることのできない照明のバックヤードの写真とともに、平野さんがお持ちくださったのは、写真の卓上ライト。初代の歌舞伎座から照明設備をつくり続けていらっしゃる、丸茂電機株式会社が令和元(2019)年に100周年を迎えたときの記念品で、かつて歌舞伎座に入っていたスポットライトの小型版で、光源がLEDライトになったものです。
 令和2(2020)年に製作された図夢歌舞伎『忠臣蔵』の収録時には、こちらが大活躍したとのこと。新しい物と古い物の融合、「温故知新」の精神をまさに体現するライトだそう。過渡期にある照明の光源ですが、「やはり一番重要なのは数値ではなくて、目で判断することだと思うんですよ」と、真摯にお話いただく姿が印象的でした。(歌舞伎美人編集部)