歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



平成23年6月の公演は道頓堀五座の時代、芝居町の風情が描かれた『夢物語 華の道頓堀』。上演にあたり、櫓を上げるなど、通常とは異なる装いが施された大阪松竹座。

大阪松竹座は大阪ミナミで最も賑やかな繁華街のひとつである、道頓堀に立地。阪神タイガースが優勝すると必ずテレビのニュースに登場していた、あの戎橋(えびすばし 写真左部)のすぐ近く。

おなじみのあの場面が目に浮かぶ… 芝居に縁の深い町、道頓堀

昨年の「関西・歌舞伎を愛する会」の、涼やかな浴衣姿の出演者たちを載せた船乗り込みの様子。

戎橋から見た道頓堀川。開削されたのは江戸時代初期の慶長17年(1612)から元和元年(1615)。

大阪松竹座の近くの法善寺横丁。千日念仏を唱えていたことから法善寺の別名は千日寺。

 道頓堀に芝居小屋が現れたのは江戸時代初期の寛永3年(1626年)。その後、歌舞伎、人形浄瑠璃、説教、舞などさまざまな出し物の小屋が集まり、また、道頓堀川の河岸には芝居茶屋が軒を並べるようになり、道頓堀は大坂(おおざか)随一の遊興の地として栄えるようになりました。顔見世興行の折には、人気役者たちによって道頓堀川で賑々しく船乗り込みが行われており、江戸時代の上方錦絵にもその様子が描かれています。

 今年も「関西・歌舞伎を愛する会 第二十回 七月大歌舞伎」の公演に先立ち、6月29日に船乗り込みが行われます(※)。道頓堀の船乗り込みが復活したのは、「関西・歌舞伎を愛する会」の前身である「関西で歌舞伎を育てる会」の第1回公演(朝日座)、昭和54年(1979年)5月のこと。実に55年ぶりの船乗り込み復活ということで、当時は大きなニュースになりました。

 この「関西で歌舞伎を育てる会」は、前年の昭和53年(1978年)12月、関西の歌舞伎を取り巻く厳しい状況を何とかしたいと、大阪の歌舞伎復興に情熱を燃やしていた澤村藤十郎さんをはじめ、行政、経済界、労働界、学者文化人、市民が結集して結成されました。平成3年7月、中座で行われた第12回公演で入場者50万人を達成し、翌平成4年(1992年)7月より「関西・歌舞伎を愛する会」と名称を変えて、毎年7月に大阪で大歌舞伎が上演されるようになりました。

 大阪松竹座が開場した平成9年(1997年)の第6回から、「関西・歌舞伎を愛する会」の名前を冠した歌舞伎公演は毎年7月に大阪松竹座で行われるようになり、今では7月の歌舞伎公演と船乗り込みは浪花の夏の風物詩になっています。7月は仕事を持っている方や学生さんも夏休みを利用して、劇場に、そして大阪に足を運びやすい時期。道頓堀近辺には、近松門左衛門『曽根崎心中』の発端「生玉社前の段」の舞台となった生国魂(生玉、いくたま)神社、そして『夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)』で夏の祭礼を行う高津(こうづ)神社(高津宮)など、歌舞伎の人気演目に因んだ場所が散在しています。また、江戸の浮世絵とは趣の異なる上方浮世絵を展示している上方浮世絵館(下記写真参照)も近くの法善寺門前にあります。

 ぜひ7月の大阪で、上方の芝居の世界に浸ってみてはいかがでしょう。

道頓堀の船乗り込みの様子を描いた錦絵「川竹乗込賑」(南粋亭芳雪画)。法善寺門前にある上方浮世絵館(上写真)は、上方の浮世絵を収集、展示している専門館。ぜひ大阪松竹座で観劇の折に、足を運びたいスポット。

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