歌舞伎いろは

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大阪松竹座正面外壁テラコッタが果たした役割

大阪松竹座正面外壁

正面大アーチのテラコッタ製キーストーン

天使の像台座にはコリント式の柱頭デザインがテラコッタにより施されている。

 大阪松竹座の正面入口の外壁を装飾する素材は、アメリカ製のテラコッタです。テラコッタとは、一般的には埴輪などの素焼きの陶製人形などを指しますが、建築業界では建築外壁を装飾する目的で使用された大型の陶磁器建材を指します。アメリカのよい物を日本に取り入れようという動きがおこっていた大正時代の終わりごろ、アメリカで流行していた、建築外壁をテラコッタで仕上げる手法を、当時の日本の建築家が積極的に採用したようです。大正12年に竣工した大阪松竹座は、まさにこの先駆け事例であり、当時最先端技術であった鉄筋コンクリート造の建築外壁に、アメリカのアトランティック社から取り寄せたテラコッタを用いて、装飾を施したわけです。淡いクリーム色の釉薬がかかったテラコッタを纏った建築物が大阪の中心部に登場したことが、日本中の人々の注目を集めたことは容易に想像できます。

 大阪松竹座が竣工したその年に、鉄筋コンクリート造とテラコッタという建築構造と素材の歴史を変える出来事がありました。大正12年9月1日に起こった関東大震災です。この大震災の後、煉瓦造による建築が法律によって規制され、鉄筋コンクリート造が普及したことは有名ですが、鉄筋コンクリート造の普及とともにテラコッタが一時代を築き上げたことはあまり知られていません。この理由は、テラコッタで建築を装飾するという行為が、20数年という短い期間に限定されて使用されたためです。しかしながら、関東大震災から日本が戦争に向かおうとするわずか20年という期間は、大震災からの復興という目的のため日本がひとつになっていた時代で、建築業界においても復興への思いや願いが込められて建物が築かれていた時代だと思います。震災直前に建てられた大阪松竹座の建築装飾に学び、国産のテラコッタを作ることで日本人による日本の復興を実現しようとしていたのかもしれません。このことを裏付けるように、震災直後に発行された大日本窯業協会誌(大正13年)には「復興建築材料」として国産のテラコッタ生産の必然性が説かれていました。

 関東大震災の直前に建ち阪神大震災を耐えて、大阪松竹座の正面ファサードに残るテラコッタを見ながら、東日本大震災から復興しようとする日本にとっての建築装飾のありかたを思い、建材メーカーとしてやらなければいけないことは何かを考えています。

INAX ミュージアム推進グループ リーダー
後藤泰男

平成 劇場獨案内

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