歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



開演時に天井が開いて、舞台演出に必要なシーリングライトが出るようになっているので、観客入場時には伝統ある格子天井がそのまま見られる。

緞帳の図柄は「唐華、唐草文(敢えて言えば“芙蓉”、あるいは“葵”を様式化したもの)を立涌取り(たてわくとり)に組み上げたもの」(大阪松竹座番附より)

最新設備を備えて新築。演劇専門劇場に

大阪松竹座には一幕見席が設けられることもある(5月の「團菊祭」の開演前に撮影)。

客席3階廊下には「上方歌舞伎・思い出の名優」と題された上方ゆかりの名優の写真が並んでいる。

建物正面の大きな窓前に配置されたエスカレーター。明るく爽やかな空間になっている。

5月の「團菊祭」では、九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎の二体の胸像が昨年に引き続き東京から大阪松竹座に移され、演目にちなんだ両優の特大パネルとともに、劇場ロビーに展示された。

 享保年間(八代将軍吉宗の時代。1716年~)になると、9座もの芝居小屋があったと言われる芝居町、道頓堀。長い江戸時代の間、盛衰を繰り返しながら、明治になると戎座(浪花座)、中座、角座、旭座(朝日座)、弁天座が軒を並べ、道頓堀五座の時代を迎えます。そして、明治39年(1906年)中座での興行を始まりとして、松竹が道頓堀五座の経営にあたるようになりました。

 道頓堀に大阪松竹座が誕生したのは大正12年(1923年)5月。著名な海外アーティストの公演にも対応できる国際的な大劇場の必要性を痛感していた松竹社長の白井松次郎の発案でした。松竹座は、国内外の優れた舞台芸術の上演と優秀外国映画の封切、松竹楽劇部(後のOSK)のレビュー公演の組み合わせを中心とした、斬新な興行方式でスタートしました。その後、戦中、戦後は邦画の、昭和27年(1952年)からは洋画の封切館として名画を上映。ネオ・ルネッサンス様式の白亜の殿堂は近代建築史に残る名建築と言われ、道頓堀のシンボルとして市民にも親しまれてきました。

 平成6年(1994年)5月、松竹百年記念事業の一環として、初代の建物は歴史を閉じることになりますが、建物正面のアーチはそのまま保存され、平成9年(1997年)2月、現在の大阪松竹座が開場式を迎えました。

 新しい松竹座は最新舞台機構を備えた演劇専門劇場として設計されています。プロセニアムアーチ(固定した演劇空間をつくる、舞台と客席を区切る額縁状の部分)を日本初の可動式にして、高さを歌舞伎では通常の7.3m、ミュージカル等では9mで使用。廻り舞台の回転は無断変速で、日本では最高クラスの速さを誇り、大小7つの迫りを設置。本花道と仮花道上の天井裏には宙乗り装置が常設。ミュージカルなどの公演時には両花道とも撤去可能で、オーケストラピットもできます。

 照明の大きな特徴としては、“調光室からフォーカスの大きさ、ライティング方向、色彩等を自在にコントロールできる「ムービングスポット・カラーチェンジ・システム」を導入。このシステムライトを客席側、舞台上に約30台設置したことで、仕込み器材の軽減と作業時間の短縮を実現化し、総ての照明プランナーのニーズに対して、従来より繊細に応えられるように(開場式プログラムより抜粋)”なりました。

平成 劇場獨案内

バックナンバー