歌舞伎いろは

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平成23年、「御園座 第四十七回 吉例顔見世」のまねき。大通りの伏見通側にあげられている。

正面玄関のある御園通側の外観。撮影した8月は、片岡愛之助さん主演『好色一代男』が上演されていた。

名古屋の秋の風物詩、御園座の吉例顔見世

御園通入口から見た外観。

鮮やかな朱色の玄関。

明治30年(1897年)開場時の御園座。

御園通商店街の御園座西側斜向かいにある「からくり人形白浪五人男」。“開演時間”は7分間で、10、12、13、15、17時の1日5回。ご存知、『白浪五人男』「勢揃い」の五人男の名乗りの台詞が聴ける。台詞を語っているのは、七世松本幸四郎(日本駄右衛門)、十五世市村羽左衛門(弁天小僧菊之助)、六世尾上梅幸(忠信利平)、十五世市村家橘(後の十六世市村羽左衛門、赤星十三郎)、十三世守田勘弥(南郷力丸)。御園座を訪れた際には、ぜひ、聴いておきたい。

 御園座の初代社長、長谷川太兵衛(たひょうえ)が「東西に負けない一流の劇場を名古屋につくりたい」と、劇場設立に乗り出したのが明治28年(1895年)。翌年には名古屋劇場株式会社が創立され、劇場名は御園座と定められました。
 明治30年(1897年)には劇場本館が完成。左右に大きなドームがあるルネッサンス式洋風建築で、場内には大きなシャンデリアがつるされていたそうです。当時の名古屋にあった芝居小屋に比べ、ひときわモダンで新しい劇場の出現でした。一方で、客席はすべて桟敷で、玄関左には芝居茶屋五軒が並び、上等の客は芝居茶屋で食事をとる仕組みになっていました。

 開場は明治30年(1897年)5月、柿葺落興行は初世市川左團次の一座で、当時「團・菊・左」(九世市川團十郎、五世尾上菊五郎、初世市川左團次)と称された人気役者の一座とあって大盛況。劇場内はつま先立ち、入場できなかった人は帰りかねて劇場の前にたむろしていたそうです。続く6月の公演も左團次一座が勤めました。

 現在の建物は昭和38年(1963年)9月に開場されました。今では年2回の歌舞伎公演が定着している御園座ですが、恒例となった10月の「吉例顔見世興行」は創立七十周年を記念に昭和40年(1965年)に始まり、今年は第四十七回。多くの見物客を集めるまねき上げの行事もあり、名古屋の秋の風物詩となっています。
 今年の顔見世は、「歌昇改め三代目中村又五郎襲名披露、種太郎改め四代目中村歌昇襲名披露」ということで、8月23日に行われたまねき上げには襲名の二人と中村吉右衛門さんが参加。いつにも増して華やかな行事となりました。

 最寄駅は名古屋駅から市営地下鉄東山線でひとつ目の伏見駅で、駅からは徒歩2分の便利な立地。現在の劇場のある建物は御園座会館といい、地下2階には御園座演劇図書館があります。御園座の資料室として設置されたのは昭和44年(1969年)。演劇に関する書籍などのほか、御園座で上演された番付など、歌舞伎や文楽を中心とした各種の資料を所蔵し、昭和48年(1973年)から一般公開もされています。会員には図書の館外貸出や演劇教室への招待、特別割引観劇なども行なっており、初代社長から受け継がれている「芝居を愛する心」が感じられる施設です。

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