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三津五郎、巳之助が追善狂言『連獅子』『どんつく』への想いを語りました~錦秋十月大歌舞伎

三津五郎、巳之助が追善狂言『連獅子』『どんつく』への想いを語りました~錦秋十月大歌舞伎

 10月新橋演舞場「錦秋十月大歌舞伎」、昼の部『連獅子』、夜の部『どんつく』は七世坂東三津五郎五十回忌、八世坂東三津五郎三十七回忌、九世坂東三津五郎十三回忌 追善狂言となります。公演に先立ち、坂東三津五郎、坂東巳之助が追善への想いを語りました。

坂東三津五郎
 曽祖父、祖父、父と三代の追善狂言を昼・夜に上演させていただくことになりました。昼の部では『連獅子』を息子の巳之助と歌舞伎公演で初めて勤めさせていただきます。夜の部の『どんつく』は一座の皆様が総出演してくださり、大変賑やかな舞台になります。追善というのは、亡き人々の遺徳を忍ぶということはもちろんですが、「お陰様で私どもも元気にやらせていただいております」とご報告する場でもあると思っております。そういう意味では、息子と共演する事で、「三津五郎の名も繋がっていきそうだよ」とご先祖様に報告が出来る・・・三代のご先祖が最も喜んでくれるのは、この報告が出来ることではないかと思っています。

 『連獅子』は父の親獅子で何度も仔獅子を勤めましたが、とうとう私も親獅子を勤めるようになりました(笑)。歌舞伎界の親子は皆さんよく勤める狂言で、自分も親獅子を勤められる事をとても嬉しく思います。と同時に、坂東家の『連獅子』というものを皆様にどのように魅力を持ってお観せするかという事が頭にあります。お客様は、親子の共演ということに注目をされますが、狂言師右近と左近は親子ではなく、実は同僚で、親子の物語を演じているうちに後ジテで親獅子と仔獅子になるというのが作品の設定です。この狂言を初演した六代目菊五郎と七代目三津五郎が大人同士で勤めたように、やはり狂言師右近と左近が演じているという性根で勤めたいと思っています。

 『どんつく』ですが、私の持味からすると江戸前ですっきりとしている太夫の方が良いのかなと思うこともありますが、どんつくは三津五郎家のものですから、やはりそちらを勤めていかなければなりません。私はどうしてもシャープな動きになりがちですので、そこをなるべく押さえて田舎者らしい朴訥さ、のどかな味を出したいと思っています。踊ってみると結構膝に負担がくるきつい踊りなのですが、そう見えてはいけませんし、太夫のすっきりとした形と好対照を成さなくてはなりません。どんつくは真面目臭さが出てしまうと、面白さがなくなってしまいますから、そこが一番の悩みどころです。

 それにしても『どんつく』の舞台写真を見るとあまりにも父に似ているので、自分でもドキッとします(笑)。普段の時の顔よりも、顔をつくり舞台に立つと、なぜかとても父に似てきます。先日大阪松竹座で『摂州合邦辻』の合邦を勤めましたが、その時は八代目三津五郎に似ていたようで、ご覧になった方から八代目が生き返ったのかと思いビックリしたと言われました(笑)。顔とかではないのでしょうね、きっと肩の丸みとか・・・妙なところが似てくるのですから本当に不思議です(笑)。


坂東巳之助
 『連獅子』は5年前、16歳の時に一度舞踊の会で父と勤めさせていただきましたが、その頃はまだ歌舞伎俳優としての心構えが全く出来ていず、非常に悔しい思いをたくさん致しました。今回歌舞伎公演で父と『連獅子』を勤めさせていただけることになり、私なりにリベンジをするという決意を持ち、成長した姿を三代のご先祖様に見ていただけるように勤めたいと思っています。本興行で父と2人だけで踊る事も初めてで、共演させていただける事をとてもありがたく思っていますが、公演が近づくにつれ、日に日にプレッシャーの重さが増しています(笑)。

 『どんつく』は以前、子守と角兵衛で2度出演させていただきました。角兵衛を勤めさせていただいた時に、今回勤めさせていただく太鼓打を中村勘太郎のお兄様が勤められていて、とても良く覚えています。そうしたお役を勤めさせていただける歳になったのだなと、改めて身の引き締まる思いでいます。

 父はいつも平均点を取れるところまでは丁寧に導いてくれますが、その先は自分で掴みなさいという考え方で指導をして下さいます。そうして父の考えや教えが、だんだんと私の中にも根付き定着してきたように感じています。階段を何段も飛ばしで上がっていくよりも、一つ一つ着実に出来ることを増やしていきたい、そうしていくうちに段々見えてくるものがあるのではないかと思っています。

三津五郎、巳之助が追善狂言『連獅子』『どんつく』への想いを語りました~錦秋十月大歌舞伎

2010/09/23