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葵太夫が重要無形文化財保持者各個認定(人間国宝)の喜びを語る

葵太夫が重要無形文化財保持者各個認定(人間国宝)の喜びを語る

 7月19日(金)、竹本葵太夫が重要無形文化財「歌舞伎音楽竹本」保持者の各個認定(人間国宝)を受けることが発表され、歌舞伎座「七月大歌舞伎」出演中の葵太夫が取材に答えました。

大好きな歌舞伎で義太夫を

 「本当に文字通り“有難い”、よい時節に巡り合わせたものですから、未熟若輩ではございますが、竹本の業界のために慎んでお受けすることにいたしました」と、笑顔を見せた葵太夫。昭和54(1979)年に初舞台を勤めてから40年、「多くの師匠方から技をご指導いただき、その技を発揮する舞台に、多くの俳優さんからお引きたていただき、地味な仕事ながら、多くのお客様からご後援いただいてまいりました。毎日感謝しております」。

 

 伊豆大島で生まれ育った葵太夫ですが、「テレビの歌舞伎中継を観たとき、義太夫三味線の響きに何か惹かれて、一度劇場で観たいと思った。中学2年生で、歌舞伎座へ連れて行ってもらい、舞台の右側でやっております竹本に目が行きまして、その熱演ぶりに興味をもちました」。それをきっかけに「歌舞伎が大好き」になったと言い、「本格的な義太夫節の文楽ではなく、歌舞伎の竹本を仕事にしたいと思うようになりました」と語ります。

 

 そんななか、昭和53(1978)年に竹本雛太夫が竹本として初めて重要無形文化財に認定されたことは、「私がちょうど高校3年生のとき。高校を卒業したら竹本研修生になるんだ、という気持ちの後押しをしてくださいました」と、影響を受けた当時を懐かしみました。

 

俳優が演じやすいように

 歌舞伎音楽竹本は「歌舞伎という演劇の一部として活動している芸能。歌舞伎は、俳優さんをご覧いただく芸能なので、竹本は、俳優さんそれぞれの演出意図を理解して、適切な編曲を施し、舞台上の突発事故にも速やかに対応し、俳優さんにまず、気持ちよくその日の舞台を演じていただくことが要求されます。芸術家というより職人的なもの。同時に、鑑賞に値するような演奏力、太夫の語り、三味線の弾き方、そういうものも兼ね備えなければなりませんので、なかなか大変」と説明します。

 

 多くの俳優と歌舞伎の舞台をつくり上げてきた葵太夫。猿翁には、何事も「経験しなければいけないということで、色々な役をつけていただき、鍛えていただきました」。六世歌右衛門には「ともかく大変な仕事なのだから焦らず、一段一段階段を上がるようにして芸を積み重ねてほしい」と言われたと、振り返ります。近年は吉右衛門の舞台に数多く出演しており、「本当に色々な大曲と呼ばれるものを語らせていただき、感謝しております」と述べました。

 

 「演奏よりも先に俳優ありき。俳優さんよりも出しゃばったような演奏はお行儀が悪い。舞台と調和がとれている」ことが重要であると、信念を見せます。俳優が演技しやすいかを察することは「楽屋でお茶を出したり、着替えを手伝ったり、そういう日常の心配りから生まれると先輩方から教わりまして。私も若手に、それは厳しく言っています」と、後輩を育てる姿勢もうかがわせました。

 

葵太夫が重要無形文化財保持者各個認定(人間国宝)の喜びを語る

「後進とともに前進」

 「太夫は身体が楽器。そういう点で、必ずしも私は資質があるとは思っておりませんので、自分の資質の劣っている部分を、なんとか補ってやっていかなければいけないと思っております。声帯も弱いくせに一所懸命やるものですから、ついに声帯の病気になりまして、手術もしましたけれども」と、竹本としての人生を顧みます。

 

 約20年にわたり、竹本研修生の稽古にも力を入れてきた葵太夫。「昔(の教え方)はやれなかったらやめとけ、とつっぱねるわけですよね。それをなんとか、覚えさせたいと思います。せっかく習おうという気があるわけですから」と、指導方法にもさまざまな試行錯誤を重ねてきたことを明かします。「後進とともに前進していくことを目標に、日々たゆみなく精進し、早くこの認定にふさわしい実演家になりたい」と決意を述べました。

  歌舞伎音楽竹本としての人間国宝は、竹本雛太夫(昭和53年認定)に続き、葵太夫が二人目。昭和55(1980)年の雛太夫逝去により、「歌舞伎音楽竹本」の重要無形文化財は指定が解除されていましたが、今回の指定により、現在、保持者としては葵太夫一人となります。

2019年07月23日

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