歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



芸道:亡き父を偲ぶ形見の帯で稽古

 11月26日には、2回目となる自主公演「挑む」が控えている松也さん。松也さんは今、どう歌舞伎に向き合い、日々どんなこと思っているのでしょうか。「芸に向かうひたむきな横顔」、「ひとりの青年としての素顔」を探る手がかりとして、歌舞伎に関するもの、プライベートのもの、それぞれ大切にしている品を持参いただきました。


―帯と扇をお持ちいただきましたが、随分、使い込まれたものですね。
 両方とも亡くなった父(六世尾上松助※)が使っていたものです。帯のほうには「緑也」という名前が入っていますが、これは父が8歳から25歳くらいまで名乗っていた最初の芸名です。きっと若いころの父と一緒にいろんな経験をしてきた帯だと思うので、思い入れがあってよく締めるようになりました。すると、あるとき菊五郎劇団に古くからいらっしゃる(尾上)菊十郎さんが「懐かしい帯だねぇ、僕も持ってるよ」とおっしゃるんです。詳しくうかがうと、菊五郎劇団のなにかの記念のときに揃いで作った帯だそうで。その話をきいてからさらに特別な帯となりました。

 この帯は色味や柄がよくて、どんな着物にも合うんですよ。扇も年季が入った風合いが気に入っていて、お稽古のときはこの帯と扇をセットで使うようにしています。

―20歳のときにお父様を亡くされたわけですが、印象に残っている言葉や姿勢はありますか?
 父は歌舞伎に対しては、どちらかというと古典的な考え方をしていたと思います。たとえば何か新しいことにチャレンジするときも、まずは原点・根本を見つめ直すというか。そういう姿勢に若い頃は「ちょっと固いんじゃないかな」と反発した時期もありましたが、次第に共感するようになりました。生前、言葉で諭されたことはないのですが、やはりいつもそばにいたからでしょうかね。自然に僕もそのような考え方を受け継いでいると思います。

※六世尾上松助(1946-2005 おのえ まつすけ):尾上松也の父。前名は、緑也、松鶴(平成2年に松助を襲名)。二代目尾上松緑の元で修業し、松緑没後は菊五郎劇団の中堅として幅広い役柄を演じて劇団を支えた。昭和30年代の子ども向け番組「赤胴鈴之助」の主役・鈴之助も演じ、名子役として人気をはせた。平成17年、ガンのため59歳の若さで逝去。

―かわいらしい鶴千代ですね。このときの記憶はありますか?

遊びの延長という感じで楽しくて仕方がなかったのを覚えています。この頃は、台詞は音と間だけで覚えていました。わりと覚えるのは得意だったみたいですが、意味はたぶん全然わかっていなかったと思います(笑)。この写真には写っていませんが、同じ舞台に七之助さんが千松の役で出ていました。この前、勘三郎さんが当時の映像をご覧になったそうなんですが、僕が大あくびしていたらしくて大爆笑されたそうです。しかも、他の役の台詞も覚えていて口パクをしていたらしいです(笑)。舞台がとても楽しかったんだと思いますが、口パクはいけませんね…。七之助さんとは、プライベートでもとても仲良くしています。

芸の眼差し、遊の素顔

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