歌舞伎いろは

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歌舞伎座さよなら公演 六月大歌舞伎 平成21年6月3日(水)〜27日(土)
上演時間
演目と配役
みどころ
 

男が泣く時 〜誰の人生にもある深い心の動きを

 6月公演昼の部では『双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)』角力場(すもうば)で濡髪長五郎(ぬれがみちょうごろう)を演じます。舞台は大坂堀江の角力小屋。負けるはずのない素人角力の放駒長吉(はなれごまのちょうきち)との取り組みで、恩人への義理から勝利を譲る関取の濡髪。決断の背景には、複雑な心情が何層にも重なります。
 「短いのですが、深いドラマのある場です。この後、悲劇の主人公となる濡髪長五郎の行く末を暗示させるような場面にならなければなりませんし、なにより忠義と正義の間で揺れる男の気持ちが真直ぐに伝わらなければなりません」
 しがらみの中で生きなければならない葛藤、器用になり切れず悲劇を招いてしまう人間の姿にこそ、歌舞伎が描く深みがある。恩人への義理から、わざと勝負に負ける濡髪の生きざまに幸四郎さんは想いをめぐらせます。
 「義理や忠義といった硬い言葉でなくとも、人生には必ず、苦しみや悲しみ、痛みというものがあります。もちろん、私の人生にもありました。そういった感情を背負って生きる時、人はどのような決断を下せるのか。その決断に、人が生きる意味があるのではないでしょうか。外に一歩出たら涙を流すことは許されない男が、心で泣く芝居に歌舞伎の醍醐味を感じていただければ幸いです」
 歌舞伎には実際の事件を劇化した作品が多くあります。だからこそ、登場人物を通して現代の観客の感情を呼び覚ましたい。時代を超えた「心」を表現しながらもしかし、舞台の上では江戸を生きるのが歌舞伎俳優だと幸四郎さんは言います。
 「夜の部の『髪結新三(かみゆいしんざ)』は、江戸の町にたくさんいたであろう小悪党を描いた作品です。新三という男は今で言うと“チョイ悪オヤジ”でしょうか(笑)。私と一緒ですから(笑)、演じていて気持ちのいい、魅力的な役です。今では大手を振って生きていけないような人物ですが、自分なりの生き方を謳歌しているように演じています」
 世話物の手本にしているのは、大叔父の十七代目中村勘三郎さんや叔父の二代目尾上松緑さんの舞台に感じた江戸前の気風。そして桂文楽、古今亭志ん生、三遊亭圓生といった名人の噺から、ざわざわとした生命観を感じるのだそうです。
 「時代物と比較して、世話物は現代劇だと言われます。でも、江戸時代の現代劇であることが大事なんです。新三を演じる時は手ぬぐいの扱い方、煙管の持ち方ひとつにもこだわって、江戸の長屋に暮らしている“チョイ悪オヤジ”を演じています」
 河竹黙阿弥が得意とした小悪党の物語。それは、世の中が平和だったからこそエンターテイメントとして受け入れられたのではないかと松本幸四郎さんは言います。暗いニュースばかり耳にする現代でも、芝居をひととき観ることで日常の憂を忘れたり、明日への希望や勇気を感じてもらえれば、と。
 

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