歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



受け継ぐ伝統
 ~泉鏡花の美意識に生命を

少時(しばし)暗黒、寂莫として波濤(はたう)の音聞ゆ。
やがて一個(ひとつ)、花白く葉の青き蓮華燈籠、漂々として波に漾(ただよ)へるが如く顕る。
美女。毛巻島田に結ふ。白の振袖、綾の帯、紅の長襦袢、胸に水晶の数珠をかけ、襟に両袖を占めて、波の上に、雪の如き龍馬に乗せらる。
(『海神別荘』平成18年7月上演台本ト書きより抜粋)
 「泉鏡花作品の魅力はなんといっても、言葉の美しさにあります。透明感のある言葉に身をゆだねるうちに、無垢な世界にすっと引き込まれるような。ところが、このト書きを舞台化するのは非常に難しいのです。美しさにこだわると飾りすぎになり、逆にシンプルにしすぎると物足りなくなってしまいますから。」
 舞台化は試行錯誤の連続でした。演出家として道具方と細かい議論を幾度も重ね、満足する世界観にたどり着いた『海神別荘』の舞台装置。そこには玉三郎さんの愛する光景が重なっていると言います。
 「私はダイビングをしますので、海に潜った時に五感で得る感覚をイメージしながら創り上げました。どこまでも透明でありながら、底に目をやると深い深い闇が続いている――静寂の中で、ピチ、ピチ、と水泡がはじけるかすかな音が耳をかすめる世界。無防備な生命を受け入れる優しさと、果てしのない謎が共存する場所です」
 海の公子の妻となるため生贄にされた美女が纏う、水の雫のような婚礼衣装。そのデザインも、舞台化に当たり工夫が凝らされています。
 「ト書きの通りだと『鷺娘』のような白無垢になってしまうんです。ですから、公子が着る鱗を散りばめた鎧だとか、鏡花先生が生きた時代背景―伝統的な和の世界と西洋文化が入り交じった大正時代の空気を考えてイメージを創り上げました。和装にも洋装にもとれる衣裳によって、時代も国も超える普遍性を描きたいと考えました。そこに、観る方それぞれのイマジネーションが加わって世界が完成したら嬉しいですね」
 水中で感じる透明感と闇の深さ。清らかさと暗さとが紙一重で存在する魅力は、鏡花作品に登場する人物像に脈々と流れています。
 「『天守物語』の富姫には血のしたたる生首をもてあそぶ残虐性と、鷹狩りをして生けるものの命を奪う人間を蔑む無垢さがあります。『海神別荘』の公子もそうです。海を支配するものとして魚や財宝を意のままに消費するかと思えば、財宝と引き換えに実の娘を海に沈めた美女の父親を蔑む」
 ところが『海神別荘』の美女には、その二面性がありません。珊瑚、瑠璃に彩られた海の底で、新しい生命を得た自分の姿を故郷の人々や父親に見せたいと願う美女は、どこにでもいる人間の女―。
 「美女には公子のような清濁併せ持つ大きさはありません。常に受け身でいる普通の女性ですから、役者にすれば演じにくい役だと言えます。ところが美女が公子の魂に触れることで浄化され、真の意味で転生を遂げる姿には鏡花作品の清らかさが生きています」
 父へ、故郷への情愛を持ちながら、白い龍馬に乗って海底へと降り来る美女。海に棲み、天を馳せる霊獣。その姿は夜の部の『天守物語』に引き継がれます。

私と歌舞伎座

バックナンバー