歌舞伎いろは

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歌舞伎座さよなら公演七月大歌舞伎 平成21年7月3日(金)~27日(月)
上演時間
演目と配役
みどころ
 

清廉なる心を貫く
 ~新しい自分に出会うために

 時 不詳。ただし、封建時代――晩秋。日没前より深更(しんこう)にいたる。
 所 播州姫路。白鷺城の天守、第五重。
(『天守物語』平成18年7月上演台本ト書きより抜粋)

 人間界から海底に沈められ、公子の潔癖な魂に触れて聖女となる『海神別荘』の美女。一方、夜の部の『天守物語』では異界に住まう富姫が、人間界から迷い込んだ図書之助の純粋さにより無垢なる魂へと浄化されてゆきます
 「戯曲の前半で富姫は人間の浅ましさや欲深さを蔑み、異界に棲む者らしいグロテスクさを見せつけます。ところが忌み嫌う人間の図書之助に恋をしたとたんにとても幼くて、小さな女の部分を露呈させます。そこに面白さがあります」
 富姫が図書之助と初めて出会うのは、夜更けの天守。彼女が纏う夜着には水墨の龍が描かれています。
 「夜着ですからシンプルであること。そこに、富姫の高貴さや封建時代といった時代性を象徴したいと思いました。そこでイメージに浮かんだのが龍だったので、墨絵であしらい衣裳を作りました。これは私の考案です」
 空を自由に馳せるしなやかさと、霊獣としての強さ。それは純粋なる世界に住まう富姫の清らかさ、俗を蔑む潔癖さに重なります。
 「泉鏡花の作品は世界観や話の展開に飛躍があり、難解だと言われます。ところが歌舞伎はそもそも、飛躍や非日常を楽しみながら上演され続けてきたものです。そういった意味で私は鏡花先生は優れた歌舞伎作家であると思いますし、論理的に理解しようと構えるのではなく、飛躍や矛盾を感覚的にとらえることでより楽しめる作品だと思います。」
 彫金師の父と江戸の能楽師の娘である母の間に長男として金沢に生まれた泉鏡花。彼は数えで十歳の時に母を亡くした。孤独とともに生きた少年時代、そして母なる大きな存在への憧憬は、永遠の女性美を追求する彼の文学を決定づけたと言われています。
玉三郎さんが泉鏡花の作品に感じる清らかさと潔癖さ。それは歌舞伎の女方にも宿るのでは――。
 「そうかもしれません。母のような大きさを持った女性、さらに無垢なる女性像を追求したのが鏡花先生の女性像だとすれば、女性の肉体を持たず、女性を演じるのが女方です。鏡花先生が描く女性像にも、女方が演じる女性の姿にも、言葉や動きで感覚的に表現される美しさが要求されます」
 そして泉鏡花の作品の魅力は、演じる度に自らも浄化されるような気持ち良さがあると玉三郎さんは言います。
 「芝居には三つの種類があると思います。ひとつは演じながら、なんとなく過ぎる芝居。もうひとつは、何度演じても終わった後に心に重さの残る芝居。そして鏡花作品は演じる度に水を浴びた後のような清涼感のある、自分自身が浄化される芝居です。その日、その日の舞台に新しい禊(みそぎ)といいますか、役者が本来持つ新しい顔に出会わせてくれます。その新しい顔に出会い、役者という肉体を通してお客様に清々しさを感じていただけたら。これからもずっと、新鮮な気持ちで演じ続けていきたいです」
 

私と歌舞伎座

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