歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



 

私と歌舞伎座 〜幼き日の心が生きる場所

 『天守物語』を上演するにあたり、美しき異世界を描くため、まず玉三郎さんの頭を悩ませたのは舞台のしつらえだったそうです。
 「永遠の魂が宿る空間をイメージした時、いっそのこと空舞台で上演できないものかと思ったほどです。歌舞伎座の舞台という大空間を埋めながら、天守の儚さ、天上の空気感を表現するためにどうしたらいいか。そこで、舞台上部の空間を通常より大きく空けることにしました。そして、役者が芝居をする立ち位置はいつもより3メートルほど前に出して客席との間に濃密な空気を作り出しました」
 それは劇場全体を、あたかも天守に見立てた演出です。
 「歌舞伎座で上演する『天守物語』は、天井や壁、柱の木肌感から劇場全体がまるで天守のように感じられます。目に見える狭い空間がありながら、どこまでも続く永遠の場所でもある。それは幾多の名優が舞台を踏んできた、歌舞伎座そのものにも通じるのかもしれません」
 最後に、歌舞伎座で一番好きな場所は――
 「客席です。私は小さい頃から両親に連れられて芝居を観ていましたから。客席に佇んでいると、華やかな衣裳に魅了された記憶、役者さんの動きひとつひとつに息をのんだ記憶、舞台に立ちたいと胸を踊らせた幸福がいつでも甦ります。八千代座で公演をする時も、朝早く劇場に入って客席で過ごすことがあります。舞台を観ながら想いを巡らせる時間が、好きなんです。」
 幼き日の記憶。美しきものは、永遠に生き続けるのです。
 

五代目坂東玉三郎

1956年十四世守田勘弥の部屋子となり、翌年、坂東喜の字を名乗って『寺子屋』の小太郎で初舞台。64年に歌舞伎座にて『心中刃は氷の朔日』のおたまほかで五代目坂東玉三郎を襲名。以後、『椿説弓張月』の白縫姫、『桜姫東文章』の桜姫など大役を次々に勤め注目を集める。『義経千本桜』の静御前、『助六由縁江戸桜』の揚巻、『籠釣瓶花街酔醒』の八ツ橋など、存在感と圧倒的な美しさを併せ持つ立女方として観客を魅了し続けている。また舞踊家としての活動にも力を入れ、熊本県の八千代座、愛知県の呉服座、愛媛県の内子座など地方の古い劇場での公演を重ねる。今年11月には八千代座百周年オープニング記念の特別舞踊公演が控えている。1973年に中日劇場で『滝の白糸』の白糸を演じて以来、『日本橋』『白鷺』『夜叉ケ池』など鏡花作品への主演を重ねてきた。1992年には映画『外科室』の監督を、1994年には銀座セゾン劇場の『海神別荘』では演出を手がけ、泉鏡花の作品世界にライフワークとして向き合い続けている。


私と歌舞伎座

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