歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



2008年八月納涼大歌舞伎の稽古風景。
写真撮影:篠山紀信、写真協力:「家庭画報」

受け継ぐ伝統
 ~歌舞伎らしさ、に挑んで20年

 中村勘三郎さんが中心となり、8月の歌舞伎座で納涼歌舞伎が始まったのは平成2年のことです。
 「私は父親を亡くして2年、34歳でした。初めて“責任興行”という大役を任せていただいて…初日、いっぱいになった客席を見て三津五郎さんと涙を流したことは忘れられません」
 古典であれ新作であれ、時代の空気を取り入れた舞台を魅せるのが歌舞伎400年の魂。その精神を実践した場も、納涼歌舞伎でした。
 「水谷龍二先生作・演出の『愚図六』や『野田版 研辰の討たれ』、渡辺えりさんの『新版舌切雀』とさまざまな挑戦をさせていただきました。現在の私がこうしているのは、納涼歌舞伎が原点だと思います」
 今年は、大胆な本水の立廻りで早替りを演じる『怪談乳房榎』、背筋の寒くなる怪談『豊志賀の死』といった20年前と同じ演目をあえて選びました。
  「8月の納涼歌舞伎は、いつも1年くらい前に演目がなんとなく決まっているんです。三津五郎さん、福助さん、橋之助さん、同世代でやってきた気のおけない仲間ですから『来年は何を演ろうか?』という話にすぐなるんです。今年は思い切って20年前と全て同じにしようかという話も持ち上がっていたんですよ(笑)。思い入れとともに今の歌舞伎座最後となる8月を勤めさせていただきます」
 20年前、『豊志賀の死』では富本の師匠・豊志賀と深い仲になる弟子の新吉を勤めました。以来、伯父の勘蔵も勤め、今年は噺家さん蝶を勤めます。
 「私が新吉を勤めた時、さん蝶は亡くなられた源左衛門さんでした。『豊志賀の死』は、さん蝶が出てきて新吉にお師匠さんが死んだと伝えるところで一気にぞっとくる話でしょう? 江戸の長屋に住む噺家の洒脱さ、町人の生き生きとしたさまを短い場面でお客様に感じていただく大事な役です。源左衛門さんは江戸世話物のいい空気を持った役者でした。その姿を瞼の下に思い浮かべて、夏芝居ですし軽やかに演じたいと思います」
 第二部では『船弁慶』を踊ります。歌舞伎座では1992年以来、実に17年ぶり。最後に演じたのは平成5年2月の京都南座となります。
 「『船弁慶』は大好きな踊りです。ところがですよ。演りたいなと思うと、いつも誰かが演ってしまうんです。長い間機会をうかがっていました(笑)。今年1月のさよなら公演で『鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)』を勤めさせていただいた時、猿源氏が馬に乗って花道から登場する場面で、博労六郎左衛門を演じた染五郎くんが『そういえばお兄さん、船弁慶は演らないんですか?』って聞くもんだから『あなたがこの前演ったからできなかったんだよ!』と冗談で言い返したら恐縮してました(笑)」
  17年ぶりとなる勘三郎さんの歌舞伎座での『船弁慶』。 今年は奇跡的に手に入れた、特別なものとともに舞台に立ちます。

私と歌舞伎座

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