歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



 

私と歌舞伎座 〜俳優人生を彩る、幸福が詰まった場所

 現在の歌舞伎座は平成10年に仁左衛門の襲名披露公演を2ヶ月にわたって行った思い入れ深い劇場でもあります。たくさんの思い出の中でも、忘れられない体験を伺いました。

 「初めてこの歌舞伎座で、主役を勤めさせて頂いた、第二回大川橋蔵さん公演の『おぼろ夜』、あの時の高揚感は忘れられません。若かりし日の大川橋蔵さんのエネルギー溢れる姿は活き活きと思い出されます」

 歌舞伎座の大きさ。それは、この舞台に立った過去の名優たちの息づかいが生きていることにあると仁左衛門さんは言います。

 「舞台に立つと名優と呼ばれた先輩たちが見守っていてくださるような気持ちに包まれますし、楽屋で先輩方から芝居を教えていただいたことは、その時の光景とともに私の中に刻まれています。現在の歌舞伎座はいろいろ不自由なところもありますが、その不自由なところが役者にとって愛着のわくところでもあるんです(笑)。新しい歌舞伎座にも愛着が持てる雰囲気を残せたらいいですね。そして今の私たちが歌舞伎座に持っている気持ちを、若い世代の役者たちが同じように感じてくれるような新しい劇場に生まれ変わって欲しいです」

 楽屋での思い出を伺うと、幼い頃に兄、片岡秀太郎さんとともに熱中していたあることをお話してくださいました。

 「ふたりで『楽屋新聞』というのを作って、ガリバンで摺っていました。僕らが幼い頃は、初代中村吉右衛門のおじさん、七代目坂東三津五郎のおじさん、十六代目市村羽左衛門のおじさんといった、昭和を代表する名優の方々とご一緒させていただけた時代でしたから。楽屋に伺って自分たちでインタビューして(笑)、それを原稿にしていたんです。一生懸命作りましたねぇ。そうして自然に受け継いでいく歌舞伎の空気というものがあるんですよね」
 

十五代目片岡仁左衛門

1944年3月14日に十三代目片岡仁左衛門の三男として生まれる。1949年9月大阪・中座『夏祭浪花鑑』の市松で本名の片岡孝夫で初舞台。1998年1・2月歌舞伎座『吉田屋』の伊左衛門、『助六曲輪初花桜(すけろくくるわのはつざくら)』の助六ほかで十五代目片岡仁左衛門を襲名。すっきりした容姿と爽やかな調子、義太夫で鍛えた発声が観客を魅了する。『仮名手本忠臣蔵』の大星由良之助、『菅原伝授手習鑑』の菅丞相は親子二代にわたっての当たり役。さらに『寺子屋』の松王丸、『熊谷陣屋』の熊谷直実など義太夫狂言の主役はもちろん、『勧進帳』の弁慶といった骨の太い役、さらには『伽羅先代萩』の細川勝元と八汐まで多彩な芸域を持つ。『義経千本桜』「すし屋」のいがみの権太では上方式をベースに仁左衛門型ともいうべき舞台を創り上げた。父・十三代目仁左衛門が旗揚げした「仁左衛門歌舞伎」で演じた『女殺油地獄』の与兵衛は出世芸であり、歌舞伎座さよなら公演でも一世一代として勤め、大好評を博した。日本芸術院会員。



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