歌舞伎いろは

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私と歌舞伎座 〜歌舞伎座最後の『喜撰』を舞う

 平成13年(2001年)の1月、2月に歌舞伎座で行われた十代目坂東三津五郎襲名興行。華やかで、厳粛さの漂う舞台が瞼に焼き付いている方は多いのではないでしょうか。その襲名公演の舞台でも演じた『喜撰』と、同じく代々の家の芸として知られる『靭猿(うつぼざる)』を、来年1月27日に歌舞伎座で行われる追善舞踊会で踊ります。

 「今回の舞踊会は、七代目三津五郎の五十回忌、八代目三津五郎の三十七回忌、そして先代の十三回忌を追善するものです。『靭猿』は、弓矢を入れる靭のために猿の毛皮を探す女大名と、猿を差し出せと言われる猿曳(さるひき)とのやりとりを描いた舞踊の中でも人情味あふれる演目です。華やかな江戸情緒と、江戸っ子の情の深さを演じた七代目の踊りは特に名品と言われていますから、八代目、先代、そして私へと受け継がれた家の芸をしっかりと勤めさせていただきたいです」

 襲名披露公演でも舞った『喜撰』を現在の歌舞伎座で踊るのは、最後となるでしょう。

 「『喜撰』は私の家の代々が現在の歌舞伎座で踊り継ぎ、時代時代のお客様に喜んでいただいてきた演目です。坂東三津五郎家と『喜撰』、そして歌舞伎座の関わりには深いものがあ ります。昭和26年に現在の歌舞伎座が開場した時、七代目が踊ったのが『喜撰』ですし、八代目、九代目、十代目と三代続けて襲名披露公演は『喜撰』を歌舞伎座で勤めさせていただきました。実は、今年8月の納涼大歌舞伎で『喜撰』を踊ったばかりというのもあり、演目を決める時に悩んだのですが、大和屋の追善にはやはり『喜撰』しかないと思ったのです」


 追善舞踊会の『喜撰』は、一門の弟子が揃って共演します。それも先代たちへ、そして歌舞伎座に捧げる三津五郎さんの気持ちの表れだと言います。

 「納涼大歌舞伎では幕切れの部分をきちんといたしませんでした。今回の舞踊会では幕切れまでしっかりとご覧いただきたいです」


 先代たちが踏んだ舞台を幼い頃から自分も踏みしめてきた、歌舞伎座。

 「歌舞伎座は、七代目、八代目、九代目、そして私まで四代の三津五郎が舞台を踏んだ場所です。先祖の魂はもちろん、私が小学生時分から観てきた舞台に立つ多くの昭和の名優たちの魂も詰まった場所です。初役を勤める時などは、一生懸命努力をすれば歌舞伎座のどこかに宿っている先輩方が話し合って、うまく舞台を勤めさせてくれるかもしれない。力を貸してくれるかもしれない…そんな安心感に包まれる劇場です」

 歌舞伎を作り上げてきた人々の魂とともに、新たな歌舞伎座へ。

 「私は、歌舞伎座で観る歌舞伎が一番美しいと思うんです。それはきっと、歌舞伎座にいる人たち、俳優はもちろん、狂言作者、大道具、劇場スタッフの方、そしてお客様ひとりひとり、皆さんが歌舞伎を愛しているからだと思います。新しい劇場も、歌舞伎座で観る歌舞伎が一番きれいだと、その感覚を実現できる場所になることを期待しています」
 

十代目坂東三津五郎

1956年1月23日生まれ。1957年3月、明治座『傀儡師』の唐子(からこ)で初お目見得。1962年9月歌舞伎座『鳥羽絵』の鼠、『黎明鞍馬山』の牛若丸で五代目坂東八十助を襲名し初舞台。2001年1・2月に歌舞伎座『喜撰』の喜撰法師、『寿曽我対面』の曽我五郎ほかで十代目坂東三津五郎を襲名。『蘭平物狂』などの時代物、『魚屋宗五郎』などの世話物、新歌舞伎『番町皿屋敷』の青山播磨、『将軍江戸を去る』の徳川慶喜、そして、山本周五郎作『泥棒と若殿』の松平成信まで、幅広い当たり役を持つ。人物像や時代背景を研究し尽くした細やかな芝居で、江戸や明治の世界観を劇場に作り出すと定評がある。今年の歌舞伎座さよなら公演では、5月に宇野信夫作の『神田ばやし』を清新な顔ぶれで39年ぶりに上演し、家主彦兵衛を好演。また、8月には大曲『六歌仙容彩(ろっかせんすがたのいろどり)』で五役を見事に踊り切り、話題となった。日本舞踊の一大流派・坂東流の家元としての責務を果たし、舞踊の腕は折り紙つき。



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