歌舞伎いろは

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歌舞伎座さよなら公演吉例顔見世大歌舞伎通し狂言 仮名手本忠臣蔵平成21年11月1日(日)~25日(水)
上演時間
演目と配役
みどころ

新たな役への挑戦
 ~身体に刻み込んで初役を演じる

 夜の部では『双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき) 引窓』の南与兵衛(後に南方十次兵衛)を初役で勤めます。

 「初役どころか『引窓』というお芝居に出演させていただくのも初めてです。よくかかる芝居ですが、出るのが初めてでいきなり主役ですから…、責任を感じます。ただ、この年齢になっても初役を勤める機会をいただけることこそ歌舞伎の演目の多様さ、懐の広さだと思いますし、やりがいもあり嬉しいです」

 京都の近く、八幡に居を構える南与兵衛とお早、その母のお幸一家。そこにお幸の息子である濡髪長五郎が訪ねて来る。大坂で殺人を犯し追われている長五郎と、村の代官に取り立てられ長五郎を召し捕る立場になった南与兵衛。この“与兵衛”役で、三津五郎さんは今年の芝居の幕を開けました。

 正月の国立劇場公演で勤めた演目が、『双蝶々曲輪日記』を下敷きにして書き替えた四世鶴屋南北作『誧競艶仲町(いきじくらべはでななかちょう)』の復活狂言。演じたのが、南方与兵衛でした。

 「『誧競艶仲町』は名作『双蝶々曲輪日記』の物語を江戸に移した書き替え狂言、いわば“パロディー”です。パロディーで年が明けて、本作で年が終わるなんて、歌舞伎でしかあり得ない1年ですよね」

 『引窓』の舞台となるのは京都近郊の八幡の里。南北はそれを下総の八幡村(現在の千葉県市川市)にしています。

 「お正月の『誧競艶仲町』の与兵衛は江戸の侍、元は大坂の遊女だった妻のお早は深川仲町の遊女として描かれていますから、私としてはすんなり入れる世界でした。やはり関西と江戸では町人の在り方、武士の在り方というのが違います。今月の『引窓』では、下手人の長五郎を捕らえる使命と、義理の母の想いに板挟みとなった与兵衛が自ら刀を投げ出し、『丸腰なればただの町人』と言うところがひとつの山場です。代官に取り立てられてもまだ町人気質の抜けない、上方らしい深い情を持った人物をじっくり演じたいです」

 与兵衛のバックグラウンドも興味深い。代々、郷代官を勤めた家に生まれながら、父の没後に職を召し上げられ放埒の日々を送ります。そんな中、大坂新町の廓で都と名乗る傾城と出会い女房としたのがお早です。

 「江戸では侍が傾城を女房にするというのはなかなかないことですからね。その上、義理の母のお幸の前でも隠さずにいちゃいちゃしてしまう。上方独特の『じゃらじゃら(戯れる様)』という感じが江戸育ちの人間には難しいところではあります。どうしても、スッキリ、ハッキリ、サッパリしてしまうところがありますので。そういった台詞や所作ではない部分をどう表 現するか…。技術を超えた部分ですから、役を身体に刻み込むしかありません。そうして身体からしみ出るものを意識したいと思っています」

 『引窓』の与兵衛は、若き日に、二代目中村又五郎さんに指導を受けたことがあります。又五郎さんは国立劇場の歌舞伎俳優養成所の講師を長年続け、若い俳優への芸の継承に情熱を注いだ方。夫人は三津五郎さんの祖父の妹にあたります。

 「又五郎のおじさんの取材があって、『若手に稽古をつけているところを撮影するから』と、呼ばれまして。何をやろうか、じゃあ『引窓』をやるか、となったわけです。今年の2月に他界した大叔父への追善の気持ちも込めて勤めたいですね」

 三津五郎さんは新たな役を演じることは、芸を開拓していく機会だと言います。

 「家の芸と言われるものについて、私の家は舞踊にいくつかありますが、芝居は自分の代でもっと開拓していかなければならないと考えています。初めての役が、ひとつひとつ自分の財産になっていくのはありがたいことです」

 歌舞伎を愛し、先達の名優たちに敬意を払う気持ちが、三津五郎さんの芸の粋を極めていきます。

 12月、三津五郎さんは、宮藤官九郎さんが初めて歌舞伎を手掛ける『大江戸りびんぐでっど』に出演、また再演となる野田秀樹さんの『野田版鼠小僧』で大岡忠相を演じます。


 「昼の部は新作ですから、宮藤さんがどう描きたいのか、求めているものは何かを探りながらつくっていきたい。どのようなものになるか楽しみです。夜の部の大岡忠相はとてもやりがいのあるお役です。初演の時よりもさらに面白くしたいと思っています」

 

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