歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



『けいせい浜真砂』の石川屋真砂路(平成20年1月歌舞伎座楽屋にて。中村雀右衛門公式ホームページより。無断転載禁)
 

私と歌舞伎座 ~歌舞伎を愛する心を次の世代に

 多くの時間を過ごしてきた歌舞伎座は、雀右衛門さんにとって、どのような存在なのでしょうか。

 「歌舞伎座は一番演じやすい、大好きな劇場です。お客様との距離感、雰囲気、何をとっても最高です」

 歌舞伎座の思い出は、夢中で舞台を見ていた幼少の頃の印象が強く残っていると言います。「五代目歌右衛門のおじさんの『伽羅先代萩』で千松を勤めさせていただいた時の舞台は忘れることができません。千松が毒の盛られたお菓子を食べて絶命した後、政岡が“まことに国の礎ぞや”と両手を上げて褒めるところで、薄目を開けておじさんの芝居を見ておりました。“すごいなあ、大きい役者だなあ”と感動いたしました」

 デンデンデンと太鼓の音がすると、楽屋から舞台袖に走っていって芝居を見ていたという幼少時代。ずっと歌舞伎役者として生きていきたいと幼心に強く思っていたと雀右衛門さんは言います。その「芝居を愛する心」を、次の世代にも伝えてきました。

 「息子や弟子によく申しているのは“芝居が好きであること”が一番だということです。歌舞伎俳優を志すならば、一生芝居を続けていく決意を持って取り組んで欲しい。芝居が生活の一部にならなければならないと教えています。その姿勢で取り組み、歌舞伎の型をまず身につけ、消化して、型の先へ行かなければなりません」

 様式美が要求される女方を極めた、雀右衛門さんだからこその言葉です。

 新たな歌舞伎座によせる想いは―

「聞くところによると、新しい歌舞伎座も現在の規模と雰囲気を維持されるとのことです。歌舞伎の殿堂にふさわしい新たな歌舞伎座の誕生を期待しております」
 

十代目坂東三津五郎

1920年8月20日生まれ。六代目大谷友右衛門の長男。1927年1月市村座『幼字劇書初』の八重丸(桜丸)で大谷廣太郎を名乗り初舞台。1948年3月東京劇場『扇屋熊谷』の小萩実は敦盛、『船弁慶』の舟子磯六、『戻駕色相肩(もどりかごいろにあいかた)』禿のたよりで七代目大谷友右衛門を襲名。第二次世界大戦で外地に出征し、復員後、女方に転向。1964年9月歌舞伎座『金閣寺』の雪姫、『妹背山婦女庭訓』のお三輪、『ひと夜』の松太郎女房で四代目中村雀右衛門を襲名。時代狂言で三姫と呼ばれる雪姫、時姫、八重垣姫の大役を演じた時の気品に満ちた舞台、そして、揺るぎない存在感と華麗かつ強さのある歌舞伎の女方の魅力を引き出した功績は大きい。舞踊では道成寺物をライフワークとし『京鹿子娘道成寺』をはじめ『豊後道成寺』『現在道成寺』『切支丹道成寺』『傾城道成寺』などを手がけてきた。趣味は「歌舞伎」であると語る。日本芸術院会員、重要無形文化財保持者(人間国宝)、文化功労者、文化勲章受章。



私と歌舞伎座

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