歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



 
写真は2点とも『菅原伝授手習鑑 車引』の藤原時平
(平成22年1月歌舞伎座)
撮影:松竹株式会社
左:『ひらかな盛衰記 逆櫓』船頭松右衛門、実は樋口次郎兼光
右:『京鹿子娘道成寺』白拍子花子
(2点とも昭和47年9月歌舞伎座)
撮影:松竹株式会社

受け継ぐ伝統
 ~歌舞伎座の舞台に刻まれた思い出深い役

 初春狂言の『車引』では、藤原時平を勤めるにあたり、自ら過去の文献を調べ役の解釈や狂言の中での存在感に今一度向き直ったと伺いました。

 「時平は登場からの短い時間で、人間を超えたただものならぬ風情を持つ役だと言うことを表現しなければなりません。鳴りもののドロドロと共に出てくるのもそうした演出ですが、私はもっと“策士としての時平の鋭さ”を追求したいと思ったのです」

 そこで見つけたのが、初代中村吉右衛門が勤めた藤原時平の舞台写真でした。隈取りをせず、公家の気風を持ったままの時平に大きなヒントを得たと言います。

 「自分が考えていた時平像にとても近いものでした。初代吉右衛門さんの舞台写真を参考にして、私なりに役作りをさせていただきました」

 富十郎さんが芸に向き合う時、芝居の道を教えてくれるのは歌舞伎座で幼い頃から観てきた名優たちの姿だと言います。

 「3歳から銀座に住んでいましたから、歌舞伎座には歩いてよく来ていました。二階の桟敷で六代目尾上菊五郎さんの『船弁慶』の引っ込みをドキドキしながら観ていたことなど、幼い頃の記憶ですが昨日のことのように覚えています。初代の吉右衛門さん、五代目中村歌右衛門さん…。舞台を観たのは空襲で焼ける前の歌舞伎座ですが、私にとってこの劇場は新しく建て替わっても歌舞伎俳優の魂が宿っている場所のように感じます」

 10歳まで銀座にある母方の祖母・舞踊家の藤間政弥の家で過ごし、その後は実家に戻り学業に専念。昭和39年に六代目市村竹之丞を襲名したのも歌舞伎座でした。

 「襲名興行は華やかな印象があるでしょうが、当の本人にとっては苦しみの思い出ばかりですよ(笑)。『頼朝の死』で畠山重保を勤めさせていただきましたが、稽古の時から六代目歌右衛門の兄さん、先代の勘三郎の兄さんに叱られてばかりでね。本当に苦しかった。ただ今にして思えば、ありがたいことだと思います。そうした厳しさがあるからこそ歌舞伎の芸は残っていくのですから」

 昭和47年には歌舞伎座で『逆櫓』の樋口と『娘道成寺』の花子を演じ、五代目中村富十郎を襲名。以来、歌舞伎座の歴史に名を刻む俳優のひとりとして数々の名舞台を勤めてきました。

 「自分にとって今の歌舞伎座で一番鮮烈な経験は、静御前、後に知盛の霊を一世一代で演じた平成15年の顔見世公演の『船弁慶』です。体調を崩して入院したこともありましたが、今こうして元気に歌舞伎座の舞台に立ち、芝居を続けていることが本当に嬉しいです」

私と歌舞伎座

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