歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



 

私と歌舞伎座 〜お客様と働く人たちにやさしい劇場に

 二度の襲名興行を行なった歌舞伎座は、中村富十郎さんにとって“一番演じやすい劇場”だと言います。

 「舞台の幅、そして雰囲気、何をとっても一番好きな劇場です。特に花道から出た時の景色はいつも惚れ惚れする華やかさです」

 一番好きな劇場が新しくなる―その日が今から楽しみだそうです。

 「“さよなら公演”とついておりますが、私としては“さよなら”ではなく“新たな門出”という気持ちで出演させていただいています。今度の劇場は聞くところによりますと、お客様にとっていろいろ便利になるそうですね。たいへんよいことだと思います。劇場で働くスタッフの方々にとっても快適な建物になるといいですね」

 楽屋まわりの設備や歌舞伎俳優には欠かせないお風呂など、富十郎さんのお話を伺っていると、芝居を支えるスタッフが働きやすくなるためにどうしたらいいか、その温かい思いと長い年月を歌舞伎座で過ごした体験が伝わってきます。

 「芝居を観てくださるお客様、楽屋まわりの仕事をしてくださる付き人さんや番頭さん、大部屋の俳優さん、皆が快適になってもっともっと歌舞伎が盛り上がっていけばいいと思います。あ、それと忘れてならないのは、美味しいものを食べられるお店を今以上に作って欲しいですね(笑)。それも歌舞伎を観にくる大きな楽しみのひとつですから」
 

五代目中村富十郎

1929年6月4日生まれ。1943年8月、大阪中座『鏡獅子』の胡蝶で四代目坂東鶴之助を名のり初舞台。1964年4月歌舞伎座『頼朝の死』の畠山重保ほかで六代目市村竹之丞を襲名。1972年9月に歌舞伎座『逆櫓』の松右衛門実は樋口次郎兼光と『京鹿子娘道成寺』で五代目中村富十郎を襲名。きっぱりとした美しい動きと、間の見事さに定評があり『石切梶原』の梶原平三などの颯爽とした芸から、『盲長屋梅加賀鳶』の道玄のような世話物の写実的な芸まで、あたかも実在の人物が眼の前にいるかのような肚のある芝居で観客を魅了する。日本舞踊家の吾妻徳穂を母に持ち、若い頃から『船弁慶』『二人椀久』といった舞踊の名舞台を数々残してきた。1955年には母徳穂のアヅマ・カブキに参加し、アメリカ、ヨーロッパで公演。その後も数多くの海外公演に参加している。1990年紫綬褒章、2003年旭日中綬章 、2008年文化功労者に選ばれる。中華人民共和国中国芸術研究院名誉教授、日本芸術院会員、重要無形文化財保持者(人間国宝)。



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