歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



 
左:『夕霧名残の正月』藤屋伊左衛門
右:『伽羅先代萩』乳人政岡
(2点とも平成18年1月歌舞伎座 坂田藤十郎襲名披露公演)
撮影:松竹株式会社
左:『京鹿子娘道成寺』白拍子花子(平成21年3月歌舞伎座) 
右:『河庄』紙屋治兵衛(平成21年10月歌舞伎座)
撮影:松竹株式会社

受け継ぐ伝統
 〜歌舞伎座の舞台に刻まれた思い出深い役

 2006年1月、歌舞伎座は平成の坂田藤十郎襲名披露公演で熱気に包まれました。『曽根崎心中』の天満屋お初、お正月を彩る華やかな『夕霧名残の正月』藤屋伊左衛門などで、上方歌舞伎の大名跡を実に231年ぶりに復活させた公演は、まさに歴史に残る出来事でした。

 「歌舞伎の劇場は、もちろんそれぞれ長い歴史がありますが、歌舞伎座はその中でも、昭和の、いやそれよりずっと前の時代から名優と呼ばれた大きな先輩たち、生命をかけて芝居を作り上げた方々の深い想いが生きているように思います。舞台から客席を眺める時や、楽屋に漂う空気を感じる時、歌舞伎にすべてをかけた先輩たちの面影を感じますね」


 坂田藤十郎襲名の2年後には、喜寿を記念して『京鹿子娘道成寺』を歌舞伎座で勤めました。

 「喜寿で女方の大曲『京鹿子娘道成寺』を勤めさせていただけたことは、私の人生の中でとても大きな出来事でした。どんな役を勤めさせていただく時も、何か新しい発見を、お客様の心に深い感動を、と思っております。記録を作りたいとは思っておりませんが、どなたもなさったことのない喜寿で『道成寺』ができたのは本当に嬉しいことでした。そして、市川團十郎さんが押戻しで共演してくださいました。江戸歌舞伎と上方歌舞伎のふたつの大きな名前が東京の歌舞伎座で共演したのは“歴史初”です。身に余る幸せな舞台でした」

 9歳で中村扇雀を襲名し初舞台を踏んで以来、ひたむきに芸と向き合い続けてきた歳月。その功績により昨年、文化勲章を受章したのも歌舞伎座で舞台を勤めている時でした。

 「昨年の10月に『河庄』の紙屋治兵衛を勤めさせていただいている時でした。歌舞伎座に取材の方がたくさん集まってくださって、ありがたかったです。勲章を頂けると聞いた時は、私が子供の頃から憧れていた先輩俳優の方たち、踊りや義太夫を教えてくれたお師匠さんたち、もちろん、父、祖父の顔がまぶたに浮かんできました」

 上方歌舞伎の歴史を作り上げた坂田藤十郎は、憧れの存在でした。今、平成の時代をその名前で生きることに大きな幸せを感じると藤十郎さんは言います。毎日新しい気持ちで芝居に挑み、一瞬一瞬を役として生きていると語る藤十郎さんの挑戦はとどまるところを知りません。

私と歌舞伎座

バックナンバー