歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



 

私と歌舞伎座 〜こけら落としを待ち遠しく、大切な3年間を

 現在の歌舞伎座は中村芝翫さんにとってのホームグラウンド。格別の親しみがあると言います。

 「歌舞伎座の舞台に立つと、何とも言えない安心感に包まれます。幼い頃から一番親しんできた劇場ですから、本当に我が家と同じです。好きなのは初日前の舞台稽古です。稽古が始まる前、大道具の調整をするトントンという音を聞きながら舞台の真ん中に立って客席を眺めていると『あぁ、歌舞伎座はいいなぁ』と声に出して言ってしまうこともあるんですよ」

 楽屋には、亡き祖父・五代目中村歌右衛門、父の五代目中村福助の思い出が生きています。

 「私が今使っている楽屋と同じ場所に祖父の楽屋がありました。子供心に襖絵が豪華だったのが今も目に浮かびます。入ってすぐの袋戸棚には川合玉堂さんの、襖には寺崎広業さんの絵が描かれていました。空襲で焼けてしまったのが本当に残念です。父の楽屋は2階でした。当時の楽屋は扉ではなく障子で全て仕切られていましてね、挨拶で入る時には障子の前で草履を脱ぐんです。楽屋は間取りがほとんど変わっていませんから、当時見た光景が鮮やかに目に浮かびます」

 その歌舞伎座が新しくなり開場するのは、3年後です。

 「孫たちも成長しているでしょうし、新しい歌舞伎座でまた一緒に舞台に立てることが今から楽しみです。思い出の詰まった劇場がなくなるのは正直寂しい気持ちもありますが、観に来て下さるお客様がもっと快適に過ごせるような劇場に生まれ変わることを期待します。これからの3年間は、早く新しい歌舞伎座ができるといいな、と楽しみにしながら過ごすと思います。いよいよあと1年となったら待ち遠しくてたまらなくなるでしょうね。日めくりをめくるような気分で新しい歌舞伎座でのお客様との再会を待つつもりです。それまでは他の劇場で、最高の歌舞伎を演じ続けていきたいと思っております」
 
 

七代目中村芝翫

1928年3月11日生まれ。1933年11月、歌舞伎座『桐一葉』の女童で四代目中村児太郎を名のり初舞台。1940年から六代目尾上菊五郎に師事し、1941年10・11月の歌舞伎座『仮名手本忠臣蔵』九段目の小浪ほかで七代目中村福助を襲名。1967年4・5月の歌舞伎座『鏡獅子』ほかで七代目中村芝翫を襲名する。『伽羅先代萩』の政岡や『本朝廿四孝』の八重垣姫、濡衣といった時代物の数々の大役から、『魚屋宗五郎』の女房おはま、『幡随長兵衛』の女房お時といった世話物まで、歌舞伎界を代表する女方として端正で品格あふれる芸を体現している。昭和42年度芸術選奨文部大臣賞、昭和49年度日本芸術院賞ほか受賞多数。1996年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、歌舞伎芸の粋を守り表現する俳優として、また後進の俳優たちの指導者として大きな実績を評価されている。1989年紫綬褒章授章、2006年文化功労者に選定される。日本芸術院会員。日本俳優協会会長。

私と歌舞伎座

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