歌舞伎いろは

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『助六』の登場人物が描かれた錦絵

『江戸風俗十二ケ月の内 三月 潮干狩の図』。楊洲周延画(明治23年 1890年)。
国立国会図書館蔵。無断転載禁。

実益も兼ねている分、楽しさひとしおの潮干狩り

 春から初夏へ。江戸の町に本格的なレジャーシーズンがやってきます。まず手始めにお花見でしょうか。次には、やはり潮干狩り。江戸末期の年中行事記『東都歳時記』(1838年)には、潮干狩りは旧暦3月から4月(現在の4月から5月ごろ)がよいと記されています。この時期はちょうど、潮の干満の差が大きくなる「大潮」にあたります。実は秋にも「大潮」の時期があるのですが、残念ながら潮が引くのが夜。日中に潮干狩りが楽しめるのは、春から初夏のこの時期だけというわけで、長屋の住人までがこぞって海へと出かけました。

 当時の潮干狩りは、朝から伝馬船や荷足船に乗って沖合へ。昼頃に塩梅よく潮が引いて海底が陸地になったら、船から降りてアサリやハマグリ、シジミなどを拾いました。ときには砂の中に隠れたヒラメを踏みつけて、思いがけない収穫に大喜び、なんていう幸運も。「晩のおかず」と思えば気合いも入ろうというもの。江戸時代の浮世絵に描かれた様子では、裾をからげてがんばっているのは、ほとんどが女性。どんなときも実益を忘れない女性のパワフルさは今も昔も変わらないようです。では男性陣は…というと、もっぱら船の上で宴会を楽しんでいたのかもしれません。

 ところで『東都歳時記』は、潮干狩りスポットとして芝浦・高輪・品川沖・佃島沖・深川洲崎などをあげています。そのなかの佃島こそが、「佃煮」発祥の地。江戸の庶民にとって貝類は、身近な動物性たん白質の供給源で、「ぼてふり」と呼ばれる行商人が裏長屋の路地奥までも、貝のむき身や貝でつくった惣菜を売りに来ました。価格も手頃だったといいますから、潮干狩りで山盛りの貝を持ち帰った日にかぎらず、アサリの汁と醤油でふっくらと煮含めた貝の佃煮が庶民の食卓に上る日も多かったことでしょう。