歌舞伎いろは

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『義経千本桜 三段目ノ口 木の実』。右部の三人が小金吾と若葉内侍、六代君。中央がいがみの権太で一番左が権太の女房小せん。

いがみの権太の親切ごかしに呆れたり驚いたり

 落ち葉を踏みながら両手いっぱいにドングリを拾った、子ども時代の思い出をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。拾い始めたら、思わず夢中になってしまう──。『義経千本桜」三段目「木の実(このみ)」でも、まさにそんなシーンが繰り広げられます。

 夫の三位中将平維盛(たいらのこれもり)が生きて高野山にいると聞いた若葉内侍(わかばのないし)と嫡男六代君(ろくだいのきみ)、家臣の小金吾の一行は、旅の途中、大和国吉野下市村の茶店で休息を取ります。茶店の傍らには椎の木があり、根元に落ちた実を拾って遊び始める六代君と小金吾。そこに旅姿の男が通りかかり、落ちている実には虫が付いているからと、親切に椎の木に石を打ち付けて実を落としてくれるのです。そして先を急ぐ男は立ち去ります。

 秋の田園風景のひとこま──と思いきや、実はこの親切そうな男は、物語の主人公の一人、いがみの権太。土地のごろつきで、わざと荷物を取り違え、戻ってきて自分の荷物から金が紛失したと騙(かた)り、内侍主従から金子(きんす)をゆすり取ってしまうのです。

 「木の実」の場面は、後の「小金吾討死」、人気演目の「すし屋」へとつながる重要なイントロ部分。観客は、最初はいかにも好人物のごとく振る舞っていた権太が、汚い手口で金をゆすり取る悪党に豹変する落差に驚き、さらには実の親からも金をだまし取ろうというねじ曲がった心根に唖然とし、「すし屋」の場面で、その権太が虫の息の中で、自分の女房や子供を犠牲にしてまで親に孝行を尽くそうとする心情の告白に、またしても驚きます。

 ジェットコースターのようなドラマティックな展開。その中で木の実拾いが何とも自然でリアルです。のどかな光景を観た後には、内侍主従をまんまと計略にはめる、いがみの権太の憎たらしさもひときわ。その設定の巧みさで、現実にはありそうにないドラマに観客をするりと引き込んでしまうのです。

『義経千本桜 三段目ノ切 釣瓶鮨屋』。右から権太の妹おさと、弥助実は三位中将維盛、いがみの権太。お馴染みの釣瓶鮨屋(つるべすしや)の場面で弁慶格子の一重を着ている権太。鮨桶も並んでいる。(※2009年10月の歌舞伎座「 芸術祭十月大歌舞伎」の筋書には当月上演されている「二段目ノ切 大物浦」と「四段目ノ切 吉野山」の画題の錦絵が掲載されています。)
錦絵は2点とも二世歌川国輝画。早稲田大学演劇博物館蔵。無断転載禁。(c)The Tsubouchi Memorial Museum, Waseda University, All Rights Reserved.