歌舞伎いろは

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『神明恵和合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ) 』より三代目歌川豊斎画明治33年(1900年)早稲田大学演劇博物館蔵。無断転載禁

『神明恵和合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ) 』より歌川豊斎画 明治33年(1900年)
早稲田大学演劇博物館蔵。無断転載禁cThe TsubouchiMemorial Museum, WasedaUniversity, All Rights Reserved.

“火事と喧嘩は江戸の華”を地でいく「め組」

 八代将軍吉宗の時代である1719(享保4)年に、南町奉行の大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)によって組織された「いろは四十八組」の町火消し。当時は火の行く手に先回りして、建物を破壊して延焼を防ぐのが主な消火活動。そこで町火消しは、建物の構造に詳しく身のこなしの軽い、鳶(とび)職人や大工たちで構成されました。ところで町火消しは「四十八組」もあるのに、なぜか時代劇などでは「め組」ばかりが登場するとは思いませんか?

 『神明恵和合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ)』、通称『め組の喧嘩』。正月の品川宿島崎楼の座敷。些細なことから、め組の辰五郎の子分柴井町藤松と四ツ車大八が喧嘩になります。その場は、め組の頭辰五郎の仲裁で事なきを得ますが、後日、芝神明の芝居小屋でめ組の若い衆と四ツ車、弟分の力士の九竜山も加わり、またしてもいさかいが再燃。その後、大勢の子分や家族を巻き込んでの大喧嘩に……。江戸っ子気質、威勢のよさがひしひしと伝わり、まるで喧嘩のまっただ中に居合わせたかのような臨場感が味わえるこの演目。どうやらこの物語が「火消し」といえば「め組」のイメージがつくられるきっかけになっているようです。

 実はこの演目、文化2年に芝神明社(現:芝大神宮)で実際におこった乱闘事件が題材。この事件は町奉行、寺社奉行、勘定奉行までを巻き込んで裁かれましたが、非常時以外での使用を禁じられていた火の見櫓(ひのみやぐら)の早鐘(はやがね)を鳴らしたことで、力士よりも火消し側に厳しい罰が下されたとか。ちなみに早鐘に使用された半鐘(はんしょう)は“遠島”、つまり島流し(!)という粋なお裁き。“遠島”になった半鐘は、明治時代になってから芝大神宮に戻されたそうです。

歌舞伎「食」のおはなし

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