筋書いまむかし その弐 筋書いまむかし その弐

第2章.「いま」の筋書、ここに注目! ~舞台の感動が甦る 舞台写真~


 ここからは、現在の筋書でぜひ注目していただきたいポイントをご紹介します。江戸時代には舞台の様子や俳優の魅力を伝えるメディアは浮世絵でしたが、今ではその役割を写真が担っています。今回は、舞台の感動を切り取る舞台写真についてご紹介しましょう。

筋書における写真の歴史

 まずは簡単に歌舞伎座の筋書における写真の変遷を見ていきましょう。写真は大正時代の筋書にもすでに登場していますが、この頃は聞書き(インタビュー)ページでの俳優の素顔写真のみで、舞台の記録に関しては主要場面を描いた挿絵が掲載されていました。

 舞台写真が掲載されるようになったのは、戦後初の歌舞伎座公演となった昭和26年の初春興行からです。しばらくはモノクロ写真でしたが、昭和30年代になると過去の舞台写真やスチール写真(役の扮装をした写真)など、部分的にカラー写真が登場するようになります。特に襲名など特別な公演のときにカラー写真が掲載されています。

戦後の歌舞伎座筋書(左:昭和26〈1951〉年2月、右:同年1月)
昭和26年2月興行は1月の「新春初開場大歌舞伎」の継続で、「新春初開場五十日延続大歌舞伎」が行われた。1月から引き続き上演された『文屋と喜撰』『華競歌舞伎誕生はなくらべかぶきたんじょう』『戻橋』『二人三番叟』は、1月上演時の舞台写真が2月の筋書に掲載された。
(公益財団法人松竹大谷図書館所蔵)

 そして、昭和63(1988)年1月、歌舞伎座創立100年を記念する「歌舞伎座百年 寿 初春大歌舞伎」より、その月の公演の舞台写真がカラーで載るようになり、歌舞伎の魅力のひとつである色彩美を筋書でも存分に味わうことができるようになります。

昭和63(1988)年1月歌舞伎座筋書
(公益財団法人松竹大谷図書館所蔵)

舞台写真の撮影の裏側

 現在の歌舞伎座筋書では、公演期間の後半から販売される「再版」に各演目の舞台写真が掲載されます。ここでは再版の舞台写真ページができるまでの流れをご紹介します。

①【事前準備】レイアウト案の作成

 編集担当者がレイアウト案を作成。限られたページの中で、出演者のバストアップ写真をはじめ、必要な場面のカットの配置を検討します。

「上演が多い演目は、決まりの型など撮るポイントは同じでも、撮影の角度や場所を変えて工夫しています。逆に数十年ぶりという演目は、過去の筋書と同じ角度で撮影してもらう場合もあります。いずれにしても“この舞台の雰囲気を一番良く伝えるには”ということを第一に考えています」(編集担当者)

②【初日前】舞台稽古で最終確認

 レイアウト案が固まったら編集担当者とカメラマンで撮影するシーンを共有し、舞台稽古で最終的な演出を確認します。撮影でまず大切なことは、芝居の流れを把握しておくこと。見せ場となるせりふや見得のタイミング、そしてその前後の俳優の動きを頭に入れておかなければ、ベストなタイミングでシャッターが押せません。過去の公演と演出が異なる場合もあるため、舞台稽古を見て最終的な段取りを決めていきます。

③【初日から数日】撮影&紙面づくり

 初日が開けると、複数のカメラマンがさまざまなポジションから撮影していきます。演目数や出演者数にもよりますが、だいたい5~7日間かけて撮影していきます。編集担当者はすぐに写真選定とレイアウトを行い、ときにはカメラマンに「この角度の写真が欲しい」などの追加オーダーをして必要な写真を撮影します。演出の変更などで掲載するシーンを当初の予定から変えたり、道具や衣裳が変わったときには撮り直すこともあるので、芝居の変化にも注意が必要となり気が抜けません。

④【公演期間の中頃】レイアウト完成、校正⇒「再版」販売開始

 掲載する写真とレイアウトが決まると、画像の色味や傾きなどの調整をします。歌舞伎の色彩美、舞台照明の下での道具や衣裳の美しさをなるべく忠実に再現できるよう、色校正には特に気を使い、印刷会社と協力して何度も修正をしていきます。そうして紙面が完成すると、印刷・製本されて舞台写真入りの再版として劇場で販売されます。

筋書の舞台写真の役割

 カメラマンの吉田千秋氏(1918~2007)は、戦後から平成19(2007)年に亡くなる直前までの長きにわたり、歌舞伎の舞台を撮影してきました。吉田氏の写真は舞台の臨場感にあふれ、戦後の歌舞伎の記録としても特筆すべきものでしょう。吉田氏は昭和25(1950)年に故・永山武臣松竹会長との出会いを機に歌舞伎の写真を撮り始め、翌年の第四期歌舞伎座の開場後は、毎月の舞台写真の撮影、歌舞伎座筋書の写真ページ編集にも携わりました。

 稽古時に舞台のすぐ近くから撮影したり、宙乗りの連写や客席からの仰ぎ見るような角度から撮影するなど、大胆で印象深い写真を数多く残しています。そうした写真のなかには、今の舞台カメラマンにも受け継がれている構図もあるといいます。

 たとえば、昭和57(1982)年3月の筋書の画像をご覧ください。『妹背山婦女庭訓 吉野川』では、3ページ(片観音開き)にわたって、両花道に立つ定高と大判事清澄を収めています。当時、間口の広い歌舞伎座の舞台全体を一枚の写真に収めるのは難しかったのですが、吉田氏の工夫によりパノラマ写真のような構図でスケールの大きな舞台情景の迫力を筋書上で再現しました。

 「吉田さんの写真は、俳優が目をつぶっていたり、動いていてピンボケしていたりなど、今ならNGになるような写真もありますが、“ブロマイドを撮っているのではなく、芝居を撮っているのだ”という考えで撮影なさっていました。“今までと違うものを”という吉田さんの視点で撮影された舞台写真は、とても新鮮で魅力的です」(編集担当者)

昭和57(1982)年3月歌舞伎座筋書
(公益財団法人松竹大谷図書館所蔵)

 一方で、筋書の舞台写真は「興行の記録」という重要な役割もあります。同じ演目でも「型」による演出の違いや、大道具・小道具・衣裳などが異なる場合があります。江戸時代の絵本番付の絵を参考にして、上演が途絶えていた古い作品を復活させることがあるように、舞台の様子をビジュアルで記録することは、後の時代において貴重な資料となります。

「ある俳優さんがなさった演目をそのお孫さんやひ孫さんがなさるときに、少しでも多くの要素を記録として残すことができれば、芸の継承に役立つことができると信じ、撮影しています」(カメラマン)

 「舞台の臨場感(作品の世界観)の表現」と「記録」という2つを両立させるのは容易ではなく、また、映像を使うなど新しい演出も行われるようになり、撮影の難しさも時代とともに変化しています。そのなかでカメラマンは日々歌舞伎の醍醐味を味わっていただける一枚を追求しています。

◇◆カメラマンこぼれ話◇◆

 舞台写真をはじめ、スチール撮影、キャンペーンや記者会見など、さまざまな現場で撮影している松竹演劇部の現役カメラマン3名に、自身が体験した思い出深いエピソードを聞きました。



 『仮名手本忠臣蔵』四段目の「判官切腹の場」は、“通さん場(上演中のお客様の入退場を止める)”とされるほど緊張感に満ちた場面です。
 主君・塩冶判官の切腹に際し、舞台上では一列に裃姿の家臣が並びますが、実は客席からは見えない舞台袖まで家臣が居並んでいるのです。
 この演出自体は知っていましたが、実際にこの舞台袖の様子を自分で撮影する機会があり、舞台袖で家臣がきっちりと並び、主君の最期をじっと見届ける光景を見たときは感動しました。
 客席からは見えないにもかかわらず、お弟子さんたちがきちんと化粧や扮装をして並ぶところに、日本人的な感性、歌舞伎の精神のようなものを感じました。


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 平成22(2010)年4月「歌舞伎座さよなら公演 御名残四月大歌舞伎」の最後の演目『助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』の千穐楽が印象に残っています。
 戦後の60年間を支えた第四期歌舞伎座、その“最後の千穐楽”という歴史的瞬間の撮影で、助六が七三で傘を広げ見上げて極まるところは、シャッターチャンスがわずか2秒ほど。失敗が絶対に許されないこの状況で、先輩が入社2年目の私に“撮ってきなさい”と指示しました。
 驚きと緊張のなかで1階西側の扉を開けた時、お客様の表情に驚きました。こんなにも温かで、穏やかで、母性的な表情が舞台を取り囲んでいるなんて! そのすべての方が“この一瞬を見逃さないぞ”という思いで助六の登場を待っていました。気づけば私もお客様と一体となってその一瞬を待ち遠しく感じていました。
 一般的に写真は「被写体×カメラマン」で成立するものですが、舞台写真はお客様と一体となり場内に巻き起こる感動を共有してこそシャッターを押すことが叶う、「俳優 ×(観客+カメラマン)」であることを感じた瞬間でした。


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 中村勘太郎丈、長三郎丈の初舞台となる『門出二人桃太郎(かどんでふたりももたろう)』(平成29年2月)のキャンペーンで、香川県の鬼ヶ島(()()島)の訪問に同行しました。
 鬼ヶ島は十八世中村勘三郎丈、そして勘九郎丈、七之助丈がそれぞれの初舞台の際に訪れた、三世代にわたる“代々ゆかりの地”。勘九郎丈、七之助丈が自身の思い出を懐かしみながら幼い二人を見守る様子や、地元の人々も世代交代をしながらも“初舞台前の伝統行事”を通して縁が続いていることを目の当たりにし、代々で芸を受け継ぐ歌舞伎ならではの“縁”の深さ、“巡り合わせ”の尊さを実感しました。