歌舞伎いろは
【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。


湯屋は江戸の庶民の社交場として賑い、町人文化の発達する要因にもなりました。上写真は柘榴風呂、左写真は浮世風呂のイメージを再現したものです。
上の図は『守貞謾稿(もりさだまんこう)』中の江戸末期の湯屋の平面図。高座(番台)は女湯の板の間側なので、衣類の盗難防止のために、男湯側に見張りを置いていました。右絵は柘榴口です。浴槽は石榴口をくぐった奥にありました。出口をもうけることで湯がさめるのを防いだのです。

其の二 湯を冷さないための柘榴口

 心地良い風呂といえば、現代ではたっぷりの湯にのんびり身体をゆだねることを想像します。しかし、江戸初期の風呂は、今でいえばサウナのような蒸し風呂方式でした。少しの水と燃料でこと足りる蒸し風呂は効率が良く、世界各地で見られる入浴方法です。日本でも古くから西日本を中心に存在し、大海人皇子が壬申の乱の後には八瀬の釜風呂で傷を癒したという話も残されています。

 江戸の蒸し風呂は少しずつ姿を変え、戸棚風呂となります。蒸気を逃さないよう戸棚のような引き戸がついた蒸し風呂で、1尺ほどの深さの湯に腰から下を漬けて入浴するようになりました。それがやがて、より広く深い浴槽へと発展していきます。

 また扉を開け閉めして湯を冷ますことのないように、脱衣所との間に「石榴口」と呼ばれる低い出入り口が作られた石榴風呂が増えていきました。ただし石榴口の向こうは明かり取りの窓もほとんどない暗い空間です。お互いに声をかけあって入るのが、江戸っ子の流儀でした。

くらしの今と昔

バックナンバー