歌舞伎いろは
【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。


江戸では身分に関わらず園芸が大人気。将軍や諸侯の庭園で植木職人たちが腕を振るう一方で、庶民は自ら植物を育てるので秋には町中でもあちこちで菊の花が見られました。
現在の暦と旧暦とでは大きな違いがあります。旧暦の場合、年月日それぞれに干支が割り当てられ干支は「えと」、「かんし」と読まれ、十干と十二支を組み合わせたものです。

其の一 さまざまに咲く菊の花

 華やかな花弁と高い香りを持つ菊は、邪気を払い命を伸ばす植物として大陸から伝わったといわれています。平安時代には重陽の節句(旧暦9月9日)には、菊の花の夜露を吸い取った「菊の綿」で肌をぬぐったり、菊の花・葉に黍(きび)を合わせて醸した菊花酒をいただくものでした。重陽は陽数9が重なるため邪気が高まる日であり、現在の暦では10月ごろ。宮中では、見ごろになった菊を前に菊花宴を催して邪気を払ったのです。

 江戸時代になると全国各地で菊の品種改良が盛んになり、バリエーションは豊富になります。たとえば江戸で発達した江戸菊は、最初は平らに開いた花が、中心から徐々に花弁をねじるようにして立ち上がるという絶妙な変化が楽しめました。

 時代によって菊見もさまざまに変化し、人々は軒先で大輪の菊を咲かせたり、大がかりな菊細工をひとめ見ようと植木屋に押しかけたりします。江戸の菊細工は文化11年(1814年)ころ最盛期を迎えました。菊細工がもっとも盛んだった巣鴨では、植木屋だけでなく巣鴨に住む人々までもがきそってさまざまな趣向をこらした菊細工を披露し、諸国から見物客が詰めかけました。

くらしの今と昔

バックナンバー